出戻りメモ・おしまい。

昨日、西原さんの朝日新聞でも言葉が話題になっていて、「ウソをつくのも能力が必要」なんて考えたりして、
大昔、わが子に「なんであんな子のために私がウソをついたりしなければいけないの?」と言われたことを思い出す。
「くだらない人間のために自分を曲げるのはいやだ」の意思を幸か不幸か、わが子は二人ともが持っていて
だからこそ、生き辛くなるかもしれない、と心配しつつ、さすがわが子、と感心したりする。
これが子供を持つ本当の「幸福」よ、自分が一番大切にしているものを確かに受け継ぐ人間が存在するのは幸せだ。
昔、アーウィン・ショーの短篇に「ハロルド」という名前の男の子が出てきて、
その子はひょんなことからクラスのいじめっ子の標的になるが、さんざん殴られても「ハロルド」はその相手に屈することはなく
いじめっ子はそのことを思い知らされて泣く、で終わる。私はその一見弱く見える「ハロルド」の強さにあこがれた。
力ではかなわない、でも意志は誰にも曲げられるものではない、自分自身以外では。
自分に男の子が出来たら、こんな子であって欲しいとずっと願っていたものの、残念ながら男の子を産む機会はなく
女の子を二人産んだけれど、その二人の娘が「力でかなわなくても、意志の強さでは負けない」の心を握りこんで生まれたことには感謝する。
いじめに関しては、以前、下の子が「クラスのムードメーカーだから」と言うことで、人間関係の調整を頼まれた時に言った言葉をあらためて考える。
「何故、大人が出来ないことを子どもに求めるの?」とはまったくの正論で、直接先生にそれを切り返すことはしなかったが
その言葉の正しさに私は何も言えなかった。大人は子どもに大人の論理で無理なことを求めるものだよなあ。
西原さんの言葉に戻って先日読んで大いに楽しんだ「生きる悪知恵」で、
「ウソをついてもいい」の言葉は「世間に対して正直でなくてもいい」と言うことで、
むしろ「自分に正直であれ」つまり「ウソをついてもどうにかしたいと願う自分を認めよう」「自分がどうあるかは自分で決めよう」と言うことだ。
多分、自分の意志を曲げない道を選び取る子どもたちのことを私はそんなに心配する必要はなくて、私はもう自分の子育ては終わったんだろう。
子どもが大きくなるのは本当に早いわ、、、(涙)
上のお嬢さんがそろそろ帰省する連絡があって、従姉妹たち夫婦も遊びに来るので、私の夏休み出戻りはこれでおしまい、またしばらくおやすみ。