雑記。

ちきりんさんのタイトルをホットエントリに見かけて、これは暗に「スタディギフト」の話かな?と読んでみたら、
「日本にもエリート教育を!」のすすめで、なるほど、あいかわらずちきりんさんは現実的であるなと感心した。
はてなでは「だめなまんまでいいじゃないか、だめなまま生きていこう」が人気の思想であるけれど、
だめな人間がだめなまま生きていくには、ダメじゃない人間に相当頑張ってもらわねばならないわけだから
アメリカのような「人権」の国が底辺からのエリート発掘に熱心なのは当たり前なのだよね。
でも日本では、何もしないで「ダメでもいいじゃない」が大好きな人間が何故か底辺からの「エリート教育」の足を引っ張る、
伸ばすべき能力を早めに見つけて出来るだけのびてもらう、が認められているのはせいぜいスポーツの世界ぐらい、
そのスポーツの世界でさえ、本当の意味での底辺の人間がやろうとすると凄まじいバッシングがあらわれたりして、
出来る子を伸ばすとは出来ない子を嘲る素地を作るとはまったく別な話だと、感情を抜きにして考えることが出来たらいいのにね。
自分たちが選ばれなくてもいいじゃないか「だめなまんまで生きていく!」と決意したのなら。
でも本心は「実は自分はダメなんかじゃない!」と信じているので、それが出来なかったりする。
本当に「だめなまんまで生きていく」の覚悟はないのよね、、そこに気がつかなければ自分の人生を生き抜いていけないのに。
ちきりんさんのエントリはたまに読むとやはり面白い。実はどこに向けてなにを書いているか、ぼかしてあったりするところも、なかなか。
ところで、今朝のニュースのトップは6歳未満男児の臓器提供。
子どもの脳死判定について、わたしは感情的な反発を持つけれど、イザとなると遺族の気持ちもわかる気がする。
誰か別の人の体の中で生きつづけて欲しい、は子供を失う親のかすかな希望の光だ。
幸いにして移植を受けられる子どものこれからの健康を願う。もう一人の命もその体に宿すのだから。
最近、子どもの健康に関する哀しい情報が入って、心身共に健やかに青春時代をすごす幸せな娘たちの存在がありがたい。
ネットでは「病気」というレッテル貼りが盛んだったのをふと思い出した。
ずいぶん以前、ネットで、私が精神病者だとあちこちで吹聴されたことがあった。
ビョーキの人、可哀想!と言いつつ嘲る、私が本当に精神病者ならば、その行為は相当危険なはずだがそういった基本的なことは何もわかっていない、
ネットではいまだに医師でもない人間が直接会ったこともない人間に「診断」を下す、この風潮にはうんざりする。
昨日、話題になった子どもの向精神薬投与による副作用問題はこういった無茶な素人判断がベースにある気がする。
言葉ばかりが走って、本質は置き去りにされる。いつも。