読書メモ 佐野眞一「東電OL殺人事件」その3

本を読んであらためて驚かされたのは、被害者女性が明らかに心を病んでいたことだった。
多くの「エリート」女性が「東電OLは私だ!」と考えたそうなので、もっと「まとも」だと思っていたな。
彼女の異常は逸脱した性行為だけではなく、摂食障害、性行動と排泄の混乱、後でわかった職場での奇行、等々、
まさに精神を病んだ人の症状そのもので、そういう「病人」を何年も放置し続けた環境には心底怒りを覚える。
東電の福利厚生とはどうなっているのか?決して従業員を守る体勢にはないような気がする、心の病を得た幹部職員一人救えなかったのだもの。
そしてそれ以上に彼女の身内に腹がたつ。と言って、共に生活していたその母親や妹のことではなく、母親の兄弟、つまり彼女にとっては伯父たちに、だ。
佐野氏の本によると、被害者女性の母親の実家は室町時代にさかのぼれる古い家で、明治時代以降は多くの「医師」を輩出しているそうだ。
母親の3人の兄弟のうち二人は「医師」で、ならば、自分の姪が明らかに精神病傾向があるのが少しはわかるんじゃないか、
実際に彼女は2回拒食症になったことが確認されている、
それで入院したときに、長期にわたってカウンセリングが受けられるように何故しなかったのか。何故もっと彼女を見守ってやらなかったのか。
彼女の伯父たちは、彼女の葬式に「姿を見せていない」そうで、佐野氏がそうわざわざ書くということは、
彼らはまだ存命で葬式に列席しようと思えば出来る程度に健康であったのだろう。
娘が売春していることを知っていてもそれを止められない程度に頼りない「妹」のために、もっと「兄」たちは何かできたのではないか、
少なくとも3人のうち一人は被害者女性の父親の同級生なのだから、「友」の娘のために「父親がわり」になってもよかろうに。
百歩譲って彼らが姪の面倒をみられない程度に高齢だったとして、その子どもたち、彼女にとっては「いとこ」たちにもっと接触を促せなかったか、
何故、この「母子家庭」はこうも悲惨な孤立した状況に置かれたのか、
わからないことだらけだが、私は適切な時期に適切な治療を施されていたならばここまで不幸に陥らずにすんだだろう彼女を心から気の毒に思う。
治るかもしれない病を放置されて殺されるに至ったのだから。
彼女はなんと孤独だったんだろう、彼女の心の病に気がついていた人は周囲に大勢いたはずだ、でもみんな気がつかないフリをした、
結局、それを言い出せば、言い出した人間が病んだ彼女に「責任」を持たなければいけない、
そんな「面倒くさい」ことをするくらいならば、みて見ぬふりをする方がずっと「簡単」だ。この社会のあり方は、彼女が死んでもまだ変わることがない。
彼女は死んでもまだ孤独なままだ。
彼女の心の病をはっきり指摘することなく、「彼女は私だ」などと中途半端な理解と受容を示して言葉で消費し、結果、彼女の「死」は曖昧になる。
生きていれば、ひょっとしたらいつか救われたかもしれない彼女の「生きる機会」を奪った真犯人を、
「冤罪」にしがみつくことでとらえることをのがした警察の怠慢がぼやけてしまう。
何重にも彼女は憐れで哀しい。病を得ても、日常を逸脱しても、死んでもなお、孤独。
ならばやはり、彼女は生きていたかったろうなあ、、私はそう思う。そう思えて泣けてくる。