読書メモ・「栄養と料理4月号」

特集は「毎日の食事がカギ 放射線に負けない!」で、冒頭は「食の安全」の松永和紀さんの「情報災害を乗り越えたい」の特別レポート、
これは情報発信者のあり方についての、非常に微妙な角度で書かれた文章で、私はこの書き方をあまり評価しない。
まだ確実なところは何もわかっていないお手上げ状態で、それでも情報を発信するべき人間がどうあるべきか、
そのことへの反省や今後の展望は情報を受け取りたい側にとってはあまり重要ではないだろう。
情報の受け取り手に冷静さを求めても、出来ないときは出来ないのだから、状況がある程度落ち着くまで騒ぎ立てない、をマスコミに求めるしかないのではないか、
「情報規制!」と言われるんだろうが。
科学者として良心的であることは、社会的には良心的であるとは限らないのは、ある程度の年齢になればなんとなくわかる。
ただ、情報を切望しているのがどういった人たちであるか、それを理解する程度のことは冷静(?)な科学者にでも出来るだろう。
私が見た限り、一番神経質になり、パニック寸前に追いつめられた人たちは、主に小さな子供を持つ家庭の人たちで、
「子どもに食べさせてどうなのか」に関して、情報が錯綜して混乱させられていた気がする。
さまざまなところで「大人は大丈夫」的な言葉をわたしは読んだが、乳幼児がどうか、それに対しての明確な言葉がほとんどなかったように思う。
「わからないから何も言えない」と言われるのは、ほぼ「自己責任でどうぞ」と突き放すも同然で、この素晴らしい無責任ぶりには
幼児ではないものの、子供を持つわたしなどには非常に腹がたつ。ま、いつものお国のやり方だ、と思えばあきらめもつくが。
松永和紀さんに対して恨みがあるわけではないのだが、今回のレポートにはあまり感心しなかった。何かが欠けている気がした、それが何かははっきり言えないけれど。
冒頭のレポートに苦みを感じたが、そのほかは良記事だった。
福島県医大の宮崎真医師による「福島で生きる 放射線科医師の今とこれから」や
管理栄養士の足立香代子氏の「ボランティア活動から見えてきた被災地で栄養士に出来ること」などは読みごたえがあった。
宮崎医師は内部被爆への考え方をわかりやすく解説し、また今後食事をどうするべきかを具体的に示していて、好感が持てた。
また、栄養士の足立氏の被災者の「食」をどのように豊かにするべきか、この災害を今後どう生かしていくか、前向きな提言には気づかされることが多かった。
「栄養士だから出来ること」を見出されたのはすばらしい、しかし「栄養士=炊き出し」のイメージに少々傷つかれていたのが
私にはおかしかった。おかしがってはいけないのだけれど。
昨年、大混乱のなか、関東の大学に進学した上の娘が「ともだちが「もうわたしたちは子どもは産めないんだよね」って言った」と話してくれて、
若い世代が持つ不安はとてつもなく大きいのだと悲しく思った。
「そんなことはない」と両親であるわたしたちは言ったものの、この手の不安をどう取り除けばいいのか、希望を見つけられるように導いていけないか、ずっと考えている。
「無知だからそんなことが言える」とうそぶくのは簡単だ、「情報の取捨選択を!」と叫んでも、いい歳の大人でさえ振り回されているというのに、
若年者に冷静な対応を求めるのは無謀というものだろう。
親が何をどこまで理解するか、出来るか、が問われている時代に、よいヒントがありそうなものを出来る限り読む、
それで何が出来るか、まだわからないけれど、とりあえず、今月の「栄養と料理」は役立った。何が書いてあったか忘れないように、メモしておく。