雑記。

遅ればせながら、北原みのりさんの木嶋被告に関するつぶやきのまとめを読んでみた。
私と同じく、木嶋被告に同情心をまったく覚えないので、取材をはじめたと書いてあり、
なるほど、挑発的な物言いは「炎上マーケティング」を狙っているせいか。
木嶋被告への妙に入れ込む発言は記事なり本なりを読ませるためのようだ。私自身、つぶやきのまとめに目を通したしね。
でもこういうやりかたは、やはりイヤだな、
「え、私、全然木嶋被告のことなんか支持してませんよ?ちゃんとはじめに書いてあるじゃないですか、読まなかったんですか?」と
この手の「引っかけ」ぽいやり方がイヤだ、その「ひとこと」さえ、書いてあれば、あとはなにを書いても「私は正義の側にいる」か。
つぶやきのまとめはひとつしか見つけられなかったので、私が見た男性検事への揶揄発言は見あたらなかった。
私は検事が自分個人の性志向を元にして木嶋被告を責めているとは思わない、
そのような「個人」対「個人」の戦いのように見せかけてしまうことにどんなねらいがあるのか、裁判は常に「国家」対「個人」だ、
検事が「女は女らしくしていればいい」というのだとしたら、それは「国家」の声でしかない、そう考えなければ裁判は裁判ではなくなるだろう、
北原さんは検事の言葉を個人的発言のように受けとめてわざとミスリードを狙っているのか、それとも「素」で馬鹿げた見方をしているのか。
ちょっとしたやり方で、いくらでも世の中の声を歪ませることが簡単にできるのは北原さんもご存じだろうに。
「木嶋被告ファン」なるものは存在しない、と北原さんは発言されてそれは私も正しいと思うが、
そのような「ファン」がまるで大勢存在するかのごとくに「書く」人間と、検事の言葉を個人的なものであるかのように煽る北原さんの発言は
よく似ていてうんざりする、結局「書く」人間は自分の思ったとおりに人を迷わせるのがねらいなのか。
ネットに落ちている木嶋被告に関するあれこれを読んでいて、木嶋被告が小中学生のころから男性に関わる妙な噂があったと、
これはひょっとしたら彼女に対する「イジメ」の一部だったんじゃないか、もしそうだとしたら、初めて、私は木嶋被告に憐れみを覚える。
彼女は子ども時代から体格がよかったようだから、よく発達した胸や腰をもつ彼女をいじる同級生がいたかもしれない。
そのあげくに、まるで男性と関係しているかのような「噂」を流されていたとしたら、非常に気の毒だ。
小さな町でそのような噂を流されてしまう悲惨は想像がつく、それが真実であったかどうか、誰も確かめはしないのだから。
子ども時代に流された「噂」が本当かどうか、それを確かめることが出来ればもっと多くのこと理解できるのではないか。
木島被告が不特定多数の男性と金銭を受け取っていた事実に関しては当人同士が納得していれば特にまわりが「道徳」を説く必要はないとわたしは思う。
でも、相手が自分に都合が悪くなれば「消す」をしていたのであれば、、、?
それにしてもこれだけの数の人間がまわりから消えていることに警察が気づかないでいられるとは。そこがやはり一番怖いなあ、、、、