本の感想。佐野眞一「別海から来た女」

副題が「木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判」という、たいへんエキセントリックなもの、
でも多分、これだけ体を張って怒りをあらわにしてくれたところに、私はこういった本が書かれる社会的意味があるように思う。
この事件に関しては、ことさら上から目線で冷静を装った感想か、
あるいは佐野氏以上に「文学」的な、というか「ロマンチック」な薄っぺらい共感を加害者に示しているだけのくだらない雑文しか見当たらなかったもの。
北原みのりさんがその代表ではないかな。
それでも追いかけているうちにその薄っぺらさに気がつく程度の知性が北原さんにはあるようだけれど。
北原さんのこの件に関しての本は、男性がその感想を書いているのを興味深く読んだ。
偽善と慈善が入り混じった女性の共感をぶった切ることのできない程度に優しい男性にはあの本は役に立つようだ。
私はあからさまに木嶋被告を罵倒する佐野氏の言葉を追ううち、初めて木嶋被告の死刑判決を心から哀れに思うようになった。
「死刑はよくない」と頭では思っていても、この件に関しては、あまりにも被害者が気の毒で、
それからこの先おそらくは同じようなことを繰り返すだろう加害者を世間に野放しにするのは社会的に許されることかどうか、
それを思えば「死刑しかない」と私が裁判員でも考える。佐野氏はその「判決」を出した裁判員をも罵倒していたが。
結局、この裁判は「死刑」か「無罪」しかない、その茶番の後始末をどうつけるべきか、裁判員制度は有効なのか否か、
「殺人事件とは何か」まで考えさせられる。
ただ病的な性格異常者を「死刑」で済ませていいのかどうか、彼女に死刑判決を下した「道義」というものが私たちにも挑みかかってくる。
それを無視するべきかどうか、木嶋佳苗が自分に都合の悪い男に自分の生活から「消えて」もらったように、
私たちも私たちの社会に不都合な彼女を「消して」いいのか、佐野氏の怒りは多分そういうところにある。
表紙裏にあった佐野氏の言葉、
「私たちはなぜこの事件から目が離せないのか。
それはおそらく、この事件に関心を持つすべての人が、木嶋佳苗に、そして木嶋佳苗にだまされた人に、
いくらかずつ似ている自分に無意識のうちに気がついているからである」
これは最も鋭い問いかけでもあった、少なくとも私にとっては。
長くなったので、本の内容についてはまた後日。