昭和の味、、

「昔の料理本が面白い!」のエントリについたブコメが記事に批判的なのが意外だ。私にはさほどわるい記事には思えなかったがなあ、、
ちゃんと料理を作っているし、最後の料理は「いける!」とほめているし。「面白い!」と感じること自体は、そう責めるようなことではないような。
「昭和の香り」は必ずしも誰にでもかぐわしいものではないのだよね、中高年の「ノスタルジー」を若者に求めるのは無理だもの、
それが「若さ」ってものでしょう。
私が共働き家庭の野放し子どもとして育ったころ(昭和50年代)、この手の本を客間に飾っているような家庭の主婦が苦手だったな、
うっかり遊びに行くと必ず家のこと、働く母のことを根掘り葉掘り聞かれて、
「母親が「働かされている」家庭のかわいそうな子ども」扱いをされるのは不愉快なものよ。
「こういうものは食べさせてもらってないでしょう」と言われて出された「手作りケーキ」においしいものはなかったな、
私は気どらないおばちゃんや、おばあちゃんが出してくれる「ぼた餅」や「せんべい」の方をずっとおいしく食べた。
食べさせる人がその味をよく知っているからだったのかもしれないな、「おいしいから食べて」の味が本当は一番おいしいんだわ。
「本に書いてあるんだからおいしいはず」と、本当に「外国ふう」であるかどうかを確かめることも出来ず、
思いこみと勢いだけで作られた料理においしいものはないんだよ、「知ってる味」でなければおいしさは再現できない。
当時の「手作りケーキ」がおいしくなかったのは「マーガリン」を使うことが多かったせいもあるんだろう、だから独特の匂いと味がした。
「味はバターで決まります」とは、革命的な言葉だったわ、あれで格段に日本の手作り洋風料理は進歩した。今さらながらあのコピーに感謝。
あの記事は「味」と「時代」の進歩を気づかせるそれなりにいい記事だったと私には思える
「昔の料理の中には確かにおいしくないものもあったよ、でもそれも今を作るのに必要な段階だった」とさらりと流すべき記事を
「けしからん!」と怒るのはちょっと違う気がする、昭和の日本の貧しさをあらためて思い出すのは私には感慨深かった。
ふと、先日食べた「村上開新堂」のクッキーは昔からあの味だったとしたら、かなり「おいしい」ものだったんだろうな、と。
味にも「はやり、すたれ」があるものだなあ、、、