日常メモ。

先日、都内に住む身内に「ここ数年で葬式や法事に行く機会が増えた」と話すと、半世紀生きているその身内はまだ葬式に「一度も行ったことがない」と、
地方と都会のギャップを感じてしまったわぁ、、、(涙)
身内曰く、「年末に「父が亡くなりました」とかの葉書が来たりするけれど、都会では葬式をだす家は少ないような気がする、身内でひっそりすませてるんじゃないか」
「地方出身の人が多いから、地元に帰っているんだろうね、知り合いの父親が亡くなったと聞いて葬式に行く人の話は聞いたことがない」などと、
私の地元は知り合いがなくなったと聞くと、葬式に顔を出す習慣がある。
あまりよく知らない人でもご近所のかたであれば行くし、友達の両親が亡くなれば時間を繰り合わせていったりもする、
どうしても行けない場合は、行く人に言付けを頼むとか、そういう「つながり」がいいのか悪いのか、
私が「友達の親の葬式に行くと、否応なく自分が「年を取った」と思わされるわ」と愚痴ったら、
「都会に50過ぎても大人げない人間が多いのは、葬式のような「つながり」がないから自分が年をとったって自覚がないからかもしれない」
「それは決していいことではない」と、葬式が日常化しているような私にとっては考えさせられる言葉だった。
しかし、地方でも私世代くらいになると「葬式」が存在するかどうか、「お金」がかかる催しだものね、、、
「葬式はあとに生きている人のためにある」の言葉に納得できるようになったなあ、
生きているときから「自分の葬式なんてしなくていい」という人はいるが(私の実家父がそうだが)「亡くなった人のためにするのではないよ」などと
たぶん、あとに続く、まだ生きている、でもいずれ必ず死ぬ人に覚悟を促すために葬式はあるのだろう。
亡くなった人と同世代のお年寄りにとっては、ある意味「葬式」は「レジャー」のようなものでもあるしなあ、、
しかし、何度も葬式に行くようになって私の変わったところと言えば、「安いときに黒い服&小物を買う!」だったりして、
真冬の葬式、通夜は寒いわぁ(涙)特に葬祭場って広いから、ハンパなく、寒い。
こんなに寒くて年寄りは大丈夫なのか?と観察していると、みなさましっかりと「黒い帽子」「黒いマフラー」「黒い手袋」「黒いコート」を着用されて、
「そなえあれば、憂いなし!」などと、つぶやく私、、
「黒のタートルネックセーター」は冬の葬式の必需品ね、あと「黒いズボン」、「黒いパンツ」じゃダメなのよ、あくまで「喪」にふさわしい「ズボン」
ゆったりめ「ズボン」だと、長時間正座するとき「楽」ざんす。
そういうことを葬式で「学ぶ」自分に「死ぬ覚悟はあるのかー!」と喝、「葬式」が生活の一部になるってこういうことでもあるのよね、、、、オシマイ。