検索記録から。

検索記録に「娘に殴られた」などと言うものがあって、世の中にはこんなものを探す人がいるんだなあ、としみじみ。
私は娘に殴られた覚えがないので、どの記事がヒットしたのか自分でやってみると、先日の朝日新聞の記事、
70歳前のお母ちゃんがいろいろあってキレた「娘に殴られた」、
いやー、あらためてこのお母ちゃんは老後は赤の他人に面倒を見てもらうに限る、と思ったわ、それが親子ともども幸せです、、(涙)
私の場合、実家の近くに住んでいるので年をとった両親の「手伝い」程度のことはしているものの、あとは「プロ」に「おまかせ」にしている。
それが結局一番いいやり方なんだよね、、家族が完全に面倒を見る!というのはどうしても無理がある。
私の場合は「破綻」的「危機」はなかったけれど、いろいろあったわ、、、(遠い目)ただごちゃごちゃも、それなりに納得できる結論にいたる一過程、
それを経て、ようやくそれなりの新しいかたちが出来るんだと思う。すべてにおいて「理想的」だとか「完璧」とは言いがたいけれど。
新聞やネットで読んでいつも心配になるのが「介護のために仕事を辞めました」の話で、確かに仕事をしながらの介護は肉体的に大変だろうけど、
「育児のために仕事を辞めました」と同じで、よほどの覚悟をしていない限り、後悔があるんじゃないか、
そしてそれは決して「介護をされる側」にとってもいいことではないような、それを決意する人は非常にマジメな人が多いだろうから
「介護」に関して精神的負担はかなりあるだろうなあと思う。
「他人の手を借りる」というのは「完全」をあきらめなければいけないことで、その折り合いをどうつけるか、マジメな人にはむずかしいかもしれない。
先日、いつも読ませてもらっているところで
「家族間だと被介護者(親)と介護者の関係は逆転しにくく子供がいくら「理論や理屈」でできるだけ健康に過ごせるよう提案しても聴き入れてもらえず、イライラすることが多いよう」
とあって、ごもっとも!と、この「理論や理屈」を子どもが親に言いたがるのはやはり「時間の感覚」がもう年をとった親世代と食い違っているせいで、
育児に時間がかかるように、介護にも時間がかかる、私は育児アドバイスで「迷わず時間は金で買え」と言ったのが一番あとで感謝されたと昔、書いたが、
同じことが介護にも言える。
親世代の時間感覚にどれくらい、自分をあわせることが出来るか、「無理」はよくない、双方にとって、が、育児でも介護でも、言えるんじゃないかな。
と、「娘に殴られる」の検索から何故か介護の話になってしまったけれど、ネットの世界で「娘に殴られた」で検索する人からは、そこはかとない不幸を感じてしまう、
何故そんな検索を思いつくのか、私の場合、娘はふたりいるけれど、ふたりとも私を殴るなどという発想は持たないだろう。
「母親を殴る」以外のもっとよい結論を導き出すことの出来る能力のある娘たちでよかったなあ。
この点で私は娘たちの的確な判断力を信頼している。
どのような事情があるのかわからないけれど、変わった検索で私の僻地日記までたどりついた人の幸福をひっそり願う。
そんな検索はむなしいよ、、と、ネットはもっと楽しいことに使いましょうね、、、私は前向きな人の日記を読むのが好きだなあ。