雑談。

今日は事情があっていつになくよく歩いた。歩くためのミュールじゃなかったので足が痛い、歩かないとわかんないのよね、、新しい靴は。
時々読んでいる、とある「はいく」で「手紙」が話題になっていて、はて、なんのことやら、と思っていたら、その元ネタに出会う。
なるほど、これはウザい、実家母にこれをやられたら、たまらんなあ、と、そういう母親じゃないから、こういう子どもが出来るわけか、納得、なんてね。
とはいうものの、私もそろそろ介護(をする)年齢、親の老いに向き合うとは、自分の老いにも向き合うことだなあ、としみじみ思う。
まあ、先に育児を終わらせておいてよかったわ、みたいな。肉親の扱い方みたいなことを覚えるものね、これは私にとっては重要だった。
介護は家族でするべき、的な意見は、もっともだと思うものの、どうしても肉親では煮詰まるものがあるから、他人からの支えが必要なんだよね、
育児がそうであるように。なにもかも、母親、あるいは子ども、配偶者が抱え込むのではどうしようもなくなる部分も出てくる、
だから介護を外部に発注できるのはいいことだと思う。子育てだって、親だけが出来るってわけではないもの、介護と育児は似ているわ。
「手紙」なんだか「ポエム」なんだかよくわからないものは、適当に書かれた、実感のないところが反感を買ってるんじゃないかな、
ごく一般的な親子関係がこういうリズムで進むとは思えないものね、親子はきれい事だけじゃ語れない、その視点を欠いてる「手紙」だよなあ。
しかし、ネットでちょっと不思議に思うのは、自分自身の今の不満な状態を全て自分の母親が育てたことに根拠を求める人がいること、
それ、なんて「自分探し」?と聞きたくなる、
「理想の母親から産まれ、理想の育てられ方をしたら、きっと理想の私だったはず」って、どんだけナルシストなんだか。
小さな子どもが自分で招いた無茶苦茶な状態で「お母さんが悪い、お母さんが悪い!」と泣き叫んでいるところを思い出すなあ、
いや、それは君が悪いんだよ、とこわーいおばちゃんの私はすごみたくなるんだよね、お母さん、自信を持ってお子さんをしつけなさい、
少々、怒ったからと言って将来どうなるってこともないし、将来母親を恨むような子どもは、なにをしたって恨むもんなんだよ、
人間には持って生まれた性格ってもんがあるらしくてねえ、、、
これは親の教育でどうこうできるようなレベルでもないんだよね、でも、とりあえずは怒っておきなさい、と私は主張する、矛盾してるな。
「私が子供を産めないのは、お母さんがちゃんと育ててくれなかったせい!」なんて書いてる人をたまたま見かけて、いやはや、と思ったことがある。
そんな理想的な人間ばかりが母親をやってるわけじゃないんだよね、どこでどう間違って、そういう考え方をもつに至ったのか、非常に興味がある。
「それもおかあさんのせい」となると、これはすごい、となってしまうわ、
全てを母親のせいにするって、いい年になったらなかなか出来ないものね。その発想がすごい。
そういう人が「子どもはちっとも悪くない」と書いていると、はいはい、つまり、あなたはかけらほども悪くない無垢な存在なんだねと、
これ、10代、20代が書いてたら、まあ、そんなものか、と思うけど、30とっくに過ぎた人がやってるからなあ、
これを「小娘」感覚、と呼びたい、なんちゃって。
夏に「小娘」って言葉を覚えて、すぐ使いたがる、だって、面白いんだもの。
自分が不幸なのは全て母親のせい!と思う人は、幸福だったら、「お母さんのおかげ」と思うのかな?
それはそれで立派なことだな。私はどうだろう、
「私が幸せなのは全て私のおかげです」ほほほ、厚かましいわねえ、、、
産んでくれてありがとう、とは思うなあ、いろんな意味で感謝もしてる、幸せでよかった、今、足は痛いけど。