日常。

「ふんわりサヨク」なんて呼ばれたい、、と若作りをするおばはんがここに一人。
なんで「サヨク」とカタカナなんだろう、島田雅彦の影響か?などと考えるんだなあ、基本的に私は「ほんのりウヨク」の保守派のはず。
でももう「保守」なんてものは絶滅してしまったのよ、「保守」=「とんでも」と化した時代が憎いわぁ、、
連日、鳩山次期首相は「理系」だとか、奥様は略奪愛だとか、もうおなかいっぱいな情報を聞かされて、
そんな中、心温まる噂は、土屋なんとかが民主党から除名とか、
曲がりなりにも理系出身者が党首の政党で、ああいう「とんでも」は駆逐しておかないとね。
少しは疑似科学を日本の教育界から除去してくれるかしら?理系首相に望むのはそれくらいか。あとは特にないです、
と、昨夜ダーリンに話すと次期首相夫人はかつて「ムー」に寄稿されたことがあると、ほんまか?なお話を。
歌がうまかった、と言うと「宝塚出身」と、なんで、あんた、そんなことを知っているんじゃ!ネットか?全くとほほ。(いろんな意味で)
「ぼんやりサヨク」の言葉になんだかな、となるのは、多分
「昨日まで「ぼんやり」生きていた私、でも今日からは新しく生まれ変わった私、、、さあ、あなたも勇気を出して、「目覚めて」みて!」
ここで、まばゆい「光」と共に商品紹介、みたいな勢いのうさんくささを感じるからだろう、アメリカによくあるタイプのコマーシャル、
「あなたはもう始めた?」「まだなの?遅れているわ」など、ダイエット食品かにきび治療薬を売りつけられそうな感触。
「なんとかサクラ」のメンツをみて、某教祖の後ろで「しょーこーしょーこー」と歌って踊っていた「○○シスターズ」を思い出した。
どうもこの手の勧誘は苦手で仕方がない。だから余計なトラブルを抱え込まずにすんでるんだろうが。
さて、「捨てる」「捨てる」をやっていても、我が家には紙ゴミの権化のようなおたくダーリンがいるので特に片付いた気はしない。
先日、コミケに行って山ほどおみやげを持って帰って、その塊が書庫の床にあるのが腹立つ、いずれ私が整理するんだろう、
でも捨てないのよね、、、ま、私の他人のものに手を出すほど、捨てる趣味はないんで。
その紙ゴミの嵐は誰かに受け継がれるのよ、娘二人は「イヤだ」と言うけど。
あんたたち、おたくと結婚しなさい、きっと、このコレクションをよろこぶわよ、といらないことを言う私、
いつだったか、ダーリンにむかついたとき、子どもたちに向かって「こんな、マンガがあふれかえっているような家をフツーと思わないように」というと、
二人共から、「それは無理、産まれたときからずっとこの状態で来て、これ以外を「フツー」と思え、なんて出来ないよ」
と大変賢い意見を言われたので、なるほど、と、お父ちゃんをかばうねえ、
それでいいわ、いないところで、子どもにぶつくさ言った私が悪い、と反省したのでした。子どもに教えられることは多いねえ、、、、
手当たり次第にマンガを読みふけられる環境というのは、それほど子どもに悪いものでもないような、
ただ、下の子が「お友達は西原(理恵子)さんを知らない!」とショックを受けていたなあ、普通、知らないわ、
とはいうものの、私も「諸星大二郎先生を知らないなんて、、」と某所でショックを受けたことがあるわ、結婚するまで知らなかったくせに。
政治がどのようにごそごそ動こうとも、私は日々の雑事を片付けるのです、今日は、お弁当買い出しです。