育児雑談。

「わたしの子どもを守るのは」のタイトルが印象的なブログを興味深く読ませてもらっている。
常に読んでいるわけではないので、詳しい事情はわからないものの、絶賛反抗期中の第1子さまとバトル中らしく
こんなことを言ってはなんだが、非常におもしろい。ガンバレ、かあちゃん、と笑ってしまう。
うちの子どもたちの場合、反抗期は「あれがそうだったかな?」とか「今もそうなのかも」と
鈍くさい私は、もともと穏やかな性格の娘たちの反抗期を見のがしていたりして、
こうもわかりやすく全速力で反抗されるのがかえってうらやましいような、といって、
実際の知り合いにそういう話を聞くと、本当、涙なしには聞けないこともあったりして、「母親業」って因果なものよ、
でも、その反抗を体をはって受けとめる、反発し返す、これこそ「母親」というものよ、と応援したくなる。
常に「母親」は穏やかにすべてを受け入れるわけではないのよね、
最終的にはすべて受け入れる用意があるからこそ、反発もする、
「正しい反抗期のコミュニケーション」のあり方って、そんなに物わかりよく「はいはい、あなたは反抗期だものね」で
黙って受け流すだけがすべてじゃないとわたしは思う。その態度はたぶん、どこかで子どもを傷つけると思うわ、
子どもと真正面から立ち向かっていないんだものね。「面倒くさい」だけじゃないのかな?腹を立てるのが。
なんだかな「こういうときはこうしなさい」ってのは、お偉い先生方が、すましていってくれるもので、
そういうかたがたが体はって四六時中子育てしてきたかって言うと、「専業主婦」の妻が人知れず、じっと耐えて頑張ってきていたりして、
これからはそんな人たちばかりでもないんだろうけど、机上の空論的に理想の子育てをとなえている人たちは案外多いと思うんだよな、
精神科医の書いた育児書はあんまりあてにしないほうがいいかも。特殊な子どもを見ているひとが多いんじゃないかな。
激しく反抗した子ほど、ある日憑き物でも落ちたように本当の意味での「いい子」になっていたりして、
反抗期ってたぶん一種の通過儀礼、やりたいだけやらせて、こちらもやりたいようにやる、それでいいような気がする。
そういえば、大分前に下の子の親しいお友達が自分の母親のことを「あの女」とか「クソ婆」とか、
それはそれはひどい言葉でののしっていて、驚いていたことがある。
「そんなにひどいお母さんじゃないんだよ」と、同世代の目から見てもあんまりだ、と思ったようだ。
娘はそのお友達のお母さんの、何を言われてもひたすら「耐える」の態度を感心していたりして、
でも私が見たところ、そのお友達は母親の「耐える」がどうもガマンできなかったっぽい、
「何を言うとんじゃー、かーつ!」とやった方が、ひょっとしたら、よかったのかも、
でもそれが出来る母親とそうじゃない母親がいるんだよね、性格の問題だ、それはそれでいいのかもしれない、
中学卒業時には、大分落ち着いて「これ、私の母親」と顔見知りになった私に紹介してくれるようになっていた。
子どもの反抗期はそれぞれのやり方で、通り抜ける、そんなんでいいと思うわ。
「これが正統な答え」は育児に関する限り、ない。
それがわかったのが私の育児で、それが理想的ではなかったにしろ、それでもいいや、が私の答えでもある。
母親になったとたん、それまでの性格のすべてを全否定されて一律に同じ態度を求められる、
それって、重大な人権侵害に私には思える。
同じ人間ではないんだから、同じ反応は出来ない、それをもう少し育児書は考慮してほしいものだな。