雑記。

一昨日前の日常日記にブクマがついていたので、さては「しゃっきりウヨク」でも襲来したか!と思うと、なんと「諸星大二郎先生」への反応。
諸星大二郎、恐るべし。知ってる人はやはり知ってるモンなんだなあ、と納得したような、しないような。
映画化はつい最近も「妖怪ハンター」が阿部寛が主人公でやったな、「栞と紙魚子」もテレビシリーズがあったけど、ぱっとしなかった、
残念なことですな。諸星先生に4つもブクマがついたのにダーリンがよろこんだので、星をつけた。おたくファン心は濃い。
昨日の朝日新聞土曜版に上野千鶴子さんや信田さよ子さんの著作が紹介されていて、特に信田さんの著作紹介に、ほー、と。
信田さんの著作「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」は「夫に絶望した妻たちが母の愛の名のもとに娘たちを縛り付ける実態をあぶり出す」
と、紹介されていて、ふーむ、この世の中には夫に希望を託す妻たちがいるのか、と、目から鱗。(が落ちた)
似たもの同士しか知り合いにいないせいなのか、私の友達に「夫」に「希望」をもって結婚した人がいないんだよな、
「まー、こんなモンやろ」で結婚、みたいな、
新しいことを始めるんだからそれなりにドキドキしているけれど、そういう自分と相手をみんな、どこか醒めた目で見ていたなあ、
だからそれほど生活に希望を持ってるわけでもなく、何かあっても「人生に裏切られたー!」と失望することもない、
喧嘩はしょっちゅうするんだけど(私のところも)、子どもに「夢」を託すほど、自分自身にも、相手(=配偶者)にも期待していない、と言うか、
深刻に悩んだりしないというか、人生における緊張感が欠けてるんですかね、私も知り合いも。
うちの子だからこんなモンやろ、ってな感覚をお持ちではないんでしょうかね、「理想」にあまりにも「夢」を見過ぎてないかなあ。
夫に絶望したんだったら、他を探せば?とつい思ってしまう私はまだ若いと言うことか?
次々男を変えるのも女の甲斐性だなあ、でも面倒くさいよな、ほどほどのところで手を打つ、で、結婚生活維持、みたいな。
そもそも、わたし自身が母の言うことを聞く娘ではなかったから、自分の娘も言うことを聞かなくて当然、と思うんだよな。
ごくごく一般的な「娘」というのものは「娘18,番茶も出花」の時期になれば、ころっと母親の存在なんて忘れるもんじゃないのかな、
そのまんま都合の悪いことは忘れて「青春」を遊びほうけて楽しく暮らす、せいぜい「母」の存在を思い出すのは「結婚」する頃で、
やれ「白無垢にしろ」「角隠しをつけろ」「嫁入り支度はなにを持って行け」みたいな、あんた、なにいってんの、で親子喧嘩をする、
次に思い出すのが妊娠、出産の時期、それから「すみません、育児なめてました」の時期に「お母さん、ありがとう」になるような。
ううむ、こうして書いていると、私の人生って本当に一昔前の「型」どおりだな、なんとなく、そうなってしまったんだけど。
母と娘の分離がうまくいかないのは、ひょっとして都会に多いのかな。
私のように地方に住んでいて、子どもの大学は地元以外に、と思っていると、子どもが年頃になれば否応なく離れるけど、
都会に住んでいて、自宅から大学なり、就職なりを子どもがするのだと、なかなか、親子関係を変えることが出来ないかもしれないなあ。
都会特有の病理なのか、親子が離れられないのは。
ところで、子どもを完全に自分の支配下に置けるような女性ならば、旦那の操縦も上手に出来そうに思うけど、そうでもないのかな。
信田さんの本は面白そうなんで読んでみよう、ついでに 上野さんの「おひとりさまの老後」も読みたいなあ。
いつも借りられてて、読めないんだよな、人気があるみたい。もう出て数年たつはずなのに。
週明けに図書館に行こう。