「日本の殺人 河合幹雄」を読み終えた。

日本の「安全神話の崩壊」とは、「臭いものには蓋!」の蓋パッキン部分が時間と共に劣化して、元々そこにあった「臭い」が漏れてきた、
ってことなんだなあ、それでも、「臭い」の元自体はだいぶん少なくなってきてるんですよ、なのか。
「臭い」というものは「元から立たなきゃ駄目!」と言うけれど、それをするには人間全てを殲滅するしかない、
生きてる限り人間と「臭い」は切り離せない、そんな「不可能」なことは言うな、それよりは「臭い」の「種類」をよく見分け、理解することが大切、と
この本の内容を私はそう把握した。
さらりとふれられる死刑制度の是非とか、ううむ、とうならされるところ多々、その抑止効果や海外での死刑制度廃止にどのような「ウラ」があるか、
特に「死刑制度廃止先進国」とされるフランスを例にとって、「容疑者」を容赦なく警察は「撃ち殺している」側面もある、など、
確かに、簡単に警官が発砲を許されている国は結構あるな、
そういう国に「日本、死刑があるなんて、おっくれってるー!」なんて言われたくないよな、
そのあたりは私の「ほんのりウヨク」心をくすぐったのだった、、、
裁判員制度とか、河合さんは、走り始めた以上、この先よい機会と思って受け入れろ、と言う大変前向きなお考えの方で、
まあ、もうゴムのパッキンの付け替えが不可能であるのならば、そうせざるをえないよな。
とはいうものの、やはり人の生き死にに関わるのはこわいなあ、
最近の裁判のあれこれを新聞で拾い読んでいるとやはり激情がわきあがる、
特に若い女性が被害者になる性犯罪など、「もっと重い刑を!」なんて思ってしまうんだよ、
このあいだのあれはなんだ?「何故被害者が帰ってきたときに逃げなかったか?」と問われて「足がすくんだ」って、
足がすくんだ人間がなんで強姦なんて出来るんだよ!被害者に向かって「自業自得だ」と言ったとか、
こんな風に事件の断片だけを取り上げた情報に振り回されるのはよくない、と河合さんはこの本でいさめられているものの、
だって、普通のおばちゃんなんだもの、取り乱さずにはいられないわ、私だって無事「おばちゃん」に変形するまでは「若い女」だったしな。
この本でもふれられる「マスコミ」の効能について、裁判員の男女数の差についてのもっともな記事を読んだりして、
そういう納得できることを書いてくれるのには新聞も役に立つ。ま、河合さんの本のことも新聞で知ったわけだし。
警察の仕事に関して書かれた部分では、世の中、案外ちゃんと仕事をしている人の方が多い、と
剣道で警察関係者の方々にお世話になることのある私としては大いにうなずけた。
「聖職」だけに何かあればことさら大きく取り上げられて叩かれる、全体がそうであるように思わされる、
これは警察だけではなく、今、政治家たちの「叩き」の対象としてあげられている「官僚」に関しても、そう思うんだよなあ、
「官僚」になった人というのは、そもそも優秀な人が多いんだよね、
だから「間違ったことはしない」と言うことはないけれど、世間は公務員を「叩きすぎ」に思う。
世の中がどれだけ景気がよくて給料が高くても公務員の給料は上がらないのに、不景気になるとたちまちやり玉に挙がる、
こんなじゃ、優秀な人がなってくれなくなる、それでは困るんじゃないか?それでもかまわないような国にこの先なっていくんだろうか?
この国を司法の世界だけでなく、「お任せ」じゃない民主主義、みんなが考えて参加する民主主義に進化させなければならない、か、難しいなあ。
そういうことまで考えさせられた。
最後に違和感を覚えたのは、人を殺すことで人間は自由を得られる部分もある、のように読めるところ、
私は人を「殺せても殺さない」ことで本当の意味で自由になるのでは、と思うので、このあたりの感覚が理解できなかった。
私は厳密な意味での「法」ではなく「倫理」、「道徳」で人を見ているんだろうな、これに関しては、またよく考えてみよう。
苅部直さんのお薦め通りよい本でした。星は5つかな。