夏の記録。

今年の夏は「介護の夏」だったわ、、(涙)
いやー、いろいろありました、介護って、今さらながら、たいへん。
「介護」と「育児」はよく似ているとの話を時々聞いて、なるほど、わたしが他人に言われて「がりっ」と来る発言も同じだわ、
「悔いのないように頑張ってね」的なことを言われると「何をやっても後悔は必ずあるんだよっ!」と言い返したくなる。
こういうわたしでも、時々、ものすごく自己嫌悪に陥るからな、
「わたし以外がそばにいるんだったら、もっとちゃんとできるんじゃないか」なんて、
介護うつも、わかる気がするわ、育児ノイローゼと同じところから発しているな。
ただ、この自己嫌悪というナルシシズムに沈み込む趣味が昔からわたしにはないので、
「そんなことを思ったって、わたし以外何かするひとはいないジャン」で、オシマイ。
介護保険を使うことも考えてはいるんだけど、それをかたくなに実家母が拒む。
知り合いからは、実家母も呆け始めてるんじゃないか、
老老介護補助、じゃなくて、二人一度に介護してるってことになんじゃない?」と言われてしまったわ、
母はそれほどひどくもないんだが、他人の手伝いを入れることに抵抗すること自体「おかしい」と、そういうものかもしれないなあ、、、
なんにしろ、出来ることを出来るところまで、ということで、何とかやってる。
実家父は何も食べなくなって入院したり、以前からつきあいのある業者にワケのわからない苦情を持っていったり、
わたしはあちらこちらで頭を下げて、それでも世間は結構やさしいな、と感心したりする。
最近頭を下げて、言われて感動したのは「お互い様ですよ」、
介護経験のある人ほど、「からだには気をつけて」と、わたし自身をいたわってくれるので、ほっとする。
ほっとするということは、結構ストレス感じてるんだな、とあらためて思ったりもする。
そういえば「悔いがないように」と話す人は自分の親の世話を毎日しているんじゃないんだよな、
ほかの兄妹に任せきりだったりして、手をかけていない人ほど、きれいなことがいえるのも育児と介護の似ているところだわ。
で、この夏、気になったニュースはやはり「非実在老人」問題。
行方がわからなくなった「親」世代の年齢を考えると、ともにあの「戦争」を乗りこえたひとたちがなあ、と感慨深かった。
戦争経験って、いったい何なんだろうな。
それから、亡くなった親の「年金」詐取、
時々、40前後の「子ども」たちが、その親の「年金」で養われている話を聞くからなあ、
何らかの理由で、就職も、結婚も出来なかった人が、親と細々「年金」で暮らしているらしいのを知ると、胸が痛む。
「バブル世代」なんて言われても、地方はそのころから仕事はなかったしね、
親が亡くなったら、どうするんだろう?「非実在」予備軍は、今、発見されている以上に増える気がする、どうなるものか。
ほかには、ほぼ同時期に新聞で読んだ、大阪2児遺棄死事件と秋葉原事件の公判。
同年代の壊れた加害者の起こした犯罪に対して、ネットでの最初の論調はまったく反対だったようだ。
赤の他人を7人も死傷させた「男」は「母親が悪い」と発言しただけで「カワイソウ」、
わたしは、時と場所がちがえば、わたしやわたしの大事な人間の命を奪ったかもしれない男のほうが許し難いけれどね。
大阪の放置死事件は、正直、1歳、3歳まで育てて、「なんで?」と思うわ、
いちばん、育児がしんどい時期はなんとか乗りこえているんだよね、
やはり母親が壊れた、としか思えない、テレビでちらりと見た部屋の状態は、二人の幼児が散らかしたとも思えない、
あれは心が壊れた人の部屋だ、あそこまでなるのに、どれだけ、時間があったか、
結局、これから、心を病んだ人の犯罪をどう扱うかを真剣に考えないと行けないと思う、その予防も。
想像を絶する亡くなりかたをした子どものことを考えるとどうしようもなく哀しい。
「子どもを預けるのは、決して悪いことではありません」的な広報が出来ないものだろうか?
それを周知徹底させたいものだなあ、、
母子関係で気になったのは野田聖子氏の妊娠。
そろそろ、日本でも「50代の初産、育児」が話題になってもいいころだと思っていたので、さすが、というべきか。
「どこまで産めるか、育てられるか」を考える時代になったか。どこまで「生きられるか」の時代になったんだものな。
ネット環境が変わって、コンピューターも別のを使い始めて、ちょっとまだしっくり来ない。
9月中、出来るだけ書いて、10月から子どもたちの「お受験」が終わるまでおやすみ予定。
この夏は、わたしにとっていちばん「あつい」夏だったような。で、今回は、おわり。