それでは。

9月も今日で終わり、明日10月からいよいよセンター試験の申し込みが始まるとのことで、受験雑事、多々。
地方の子どもたちが家から出るお金がなくて、成績がよくても地元の国立にしかいかない状態がここ何年か続いているらしい。
その一方で、お金に糸目をつけずにとーだい一直線の裕福なご家庭もあったりして、お金のあり方がどこかでまちがっているような、
でも、優秀でマジメな子どもが地元大学に集まることで、生まれてくる何かは必ずあると思う。これからは地方国立大学の時代かも。
今の時代、何が辛いかと言えば、未来に希望が持てないことだなあ。
「持つ方が、バカ」的な言葉に満ちあふれているものね、でも「希望」は「持ったものの勝ち」、「夢」は見ないより見た方が楽しいものよ。
「ニホンはもうダメ」とか書いたりわめいたりして金儲けをしている連中は、いっぺん「○ね!」と心から思うんだよなあ。
他人を脅して金儲けをする手法って、なんだかな。バブル時代にありえないような「夢」をけたたましく宣伝したのとかわりがないか。
時代で流れる「言葉」は変わる、子どもたちに教えておくべくことはそれくらいか。
「ニホンはもうダメ、破滅する、ニホン崩壊、没落」とくあんまりくり返されると、
思い出すのがわたしの子ども時代大流行した「ノストラダムスの大予言」(だったっけ?)
「1999年に世界は破滅する!」を真に受けていたバカがいたなあ、そういうバカってどこに消えたっけ。
「国」が滅びたところで「山河」が残ればそれでいい。そういう感覚で生きていく。
渋谷望の「ミドルクラス〜」を読んでいて、なんで「ミドルクラス」の言葉にしたんだろうなあ、と
「ニホンの中流」としたほうがよりわかりやすい気がするな、少なくともわたしには。
そんなわたしをいやしてくれる本は大活躍中のヤマザキマリさん、「世界の果てでも漫画描き」に続き大評判だった「テルマ・ロマエ」2巻、
家族で大ファンで、たぶんこのかたが出した本はすべて家にある。子どもたちは「イタリア家族風林火山」の爆笑家族ものが好きだけれど、
私はひそかに「マリとマヤとその周辺」が好きだっだりする、わたしの子ども時代をおもいだすところがあって、読んでひそかに涙した。
「楽しく生きる」を知るのは子ども時代の心痛む経験からか。
「楽しく生きる」が大切なのを、親が年をとっていくのを間近に見ていてよくわかった。
老老介護」の危うさがどのようなものであるか、夫婦ともに衰えていて、でもその関係は変わらなくて、
その変わらない関係を維持しようとすればするほど、双方ともに壊れていく、心身ともに。
果てしない戦いのようなその関係に「タオル」を投げ込むのが子どもの役割だと、
とうてい家における状態ではとっくになかった父を施設に入れて、そう思うようになった。
本当は母が心身ともに調子を悪くする前にそうしたかったけれど、遠方に住む兄弟の理解がなかなか得られなかった。
親の衰えをなかなか認められないというか、親はたまに帰ってくる兄弟の前ではなんとか取り繕うとするのだよね、
その気持ちが私にもわかるから、何も言わなかったけれど、夏を過ぎて状況がどんどん悪くなって、さすがに兄弟たちも納得してくれて
今、私は一息ついている。
父がいつまでその施設を利用できるかわからないので、私は介護のことを出来るだけ勉強して、何とかやっていこうと思う。
ということで、受験やら、介護やらで忙しくなるので、子どもたちに「桜さく」ころまで、ネットはおやすみ。
それでは。