雑記。

ホットエントリにあがったときくらいしか読まないが、好感を持っているブロガーの方が「食通礼賛」の雰囲気が耐え難い、と書かれていて、
相当お疲れではないか、うつにならないようにセーブしているその冷静すらも心を疲れさせる原因にもなるだろうな、とひそかに心を痛める。
「これが食べたい」と想像すらつかないほど、疲れ果てることもあるよなあ、それは深刻なほど心身ともにつかれている状態で
この「K点」をこえたら、どうにかなってしまうんじゃないか、ええい、いっそ、こえてしまえ!などと思ったことが私にはあるなあ、
去年の今ごろ、実家の父の介護やら、子どもたち二人の受験やら、いっぱい、いっぱいになっていたときのことだ。
正直、いちばん辛かったのは、子どもたちの受験より、自分の肉親が戻ることのできない衰えを見せ始めたことで、
今はこんなふうに、自分が何にいちばんおびえていたのか言葉で表すことが出来るが、あのときは出来なかった、
それでも生活はまわっていく、まわしていかなければいけない、苦しいのか、苦しくないのか、よくわからない状態がずっと続いて、
それでもなんとかもったのは、単に偶然と幸運という気もする。
疲れ果てても生活の歯車を回す、そこから深く闇の中に落ちこまないよう、ただ、体を休められるよう、ネットの片隅からそっとお祈りしておく。
ココロの不調は、体の不調が原因であることが多いのよ、、本当に、お大事に。
しかし、こんなにさまざまな能力に満ちあふれた方でさえお悩みがあるのだなあ、と言うか、やはり家事、
主に「食事」への責任を働くママがここまで重く感じられているとは、あらためて考えさせられる。
父親が同じくらい毎日の「食事」に責任感を覚えるかな?
「ああ、もう毎日献立を考えるのはいやだ!」と、父親がつぶやいているのを見たことがない。
楽しげに「僕はこんなすごい食事を作ったぜ」とそういうのはよく見かけるんだが、どこか「お気楽」さが漂っていて
それを見るのも「ストレスフル」なのかも。
「あんたの食事作りは結局「気分転換」じゃないか!」って、「男の料理」ってどこかにそんな「匂い」がするよな、
あれは何故なんだろう、嫌いではないけど、それほど好きでもない。なんか「作りたいものを作ってる」って感じなんだよな、
でも女性側は「作りたくなくても作らざるを得ない」という状況に陥ることが多い、
結局、双方のココロの根底に「やはり料理は女のするべき事」とあるのかもしれない。
これについて考えることはいろいろあるが、時間がないので今日はここまで。
時々「体の休め方」も学ばねばいけないという気もする、女は、特に。