日常。

実家の父が悪くなって持病のある母が世話をする「老老介護」の手伝いを時々している。
先日、母から「兄弟3人の中で、あんたに一番迷惑をかける」とつぶやかれた。
こんな年になっても子どもは、親に感謝されると妙にうれしい、
子どもはいつまでも子どもだと言うことで、そして子どもはいつまでも親に親でいて欲しい、切ない願いを持ち続けているのだろう、
40過ぎても親に感謝されたり、ほめられるとうれしいのだから、現在思春期まっただ中の娘たちもそうなんだろうな、などと、
まだまだ、親から教えられることはあるのだなあ、共に過ごすことは大切だ。
父はもうろう状態で現実を生きているものの、それでもまだ「孫」は「孫」だとわかるので、その点では感謝している。
結婚する前に、私たち兄弟3人を育ててくれた祖母の介護をして、
人というのは最終的には、自分の愛したものは忘れて、人から愛された記憶だけになってしまうこともあるのを知った。
私は随分祖母に可愛がられたはずだけれど、祖母は私を忘れて、最愛の一人息子のことも忘れて、
「お母ちゃん、お母ちゃん」と、実家母を実の母と思って呼びかけていた。
まだ20代前半だった私はそれが辛くて仕方がなかったが、それでも時折、母から私がいないところで私の名前を呼ぶこともあると、
「はっきりする時もある」と、その「はっきりするとき」に最後に行き当たったのは、私が白無垢姿で病院に行ったときだった。
もう式に来ることは出来なかったので、周囲に迷惑がられながらも病院に行って、それがよかったか、悪かったか、
こよなく愛するダーリンが、白無垢姿で外に出るのは費用が余分にかかるにも関わらず、
「行ってらっしゃい」と言ってくれたので、そのことは永遠に感謝する。
高校生の上の娘は何かと忙しいので実家に顔を見せる機会がほとんどないが、下の中学生は毎日部活帰りに実家に行く。
自分の祖父の衰えをどう受け止めるか心配していたが、実にマイルドに「おじいちゃんには困ったねえ」など、恬淡としている。
子どもには子どもの、独自の流れを体の中に持っていて、それと存在が曖昧になった年寄りの持つ特殊なリズムは共鳴するようだ。
その穏やかさに私は助けられる。
様々な世代が共にいることで、理解や発見をする、「家族」というのは不思議なシステムだと思う。