人生雑記。

実家母と話していて、ふと思ったことなど。
「てっぺんまで登らなくてもいいんじゃね?」という、子供としてはおそらくは誠に情けない感想なんだけれど。
母はこの度決まった孫娘の就職先が不満で私になんとかしろと言ってくるわけで、
で、私も「なんとか」しなければいけないのではないか、という強迫観念に常に駆られてはいるのだけれど、
それでも心のどこかでは、娘の人生は娘の人生、たとえ、それが昭和的尺度で「もったいない!」であったとしても、
本人がそれで納得するなら、もう親がどうこういうものではない。
半分、私が親として無責任だと、感じるところも実はあるけれど。
母としては、「親の務めを十分に果たしていない娘が不甲斐ない」と、それは自分が育て方が悪かったせいだ、と、
50手前の娘に対していまだ大いに責任を感じている。
いやー、お母ちゃん、私はもともと出来が悪いんすよ、どう育てても私は結局こういう人間なんすよ、
「理想!」に向かって邁進していく人を立派だと認めることはできても、それができない自分を過剰に責める必要性も感じない、
「てっぺん目指せ!」は「欲しがりません!勝つまでは!!」の教育を受けた悲しき昭和前半人のサガだなあ、と
どこか冷ややかに見るのが、「私」で「イマドキの親」でもあるんですわ、
そういう親に育てられた子供がばあちゃんの目から見れば「かわいそう!」なのは当然でしょうが、親が子どもにすべてを与えられるわけではない、
「諦める」は私は少なくとも親から教わったわけではない、母の価値観をある意味「もっともだ」と理解することはできても、
てっぺんを目指すのは、もう私ではない、そして私にできなかったからと、子供に求めるのは何かが違う、
母が悪いのではないように、私も悪くなく、もちろん、娘も悪いわけでもない。
「てっぺん」ってそんなにいいところ?と、親である私がどこかで思っているんだから、子供だって、「てっぺん」がどこかわからない、
母だって、本当は分かっていないんじゃないか、書けば書くほど蓮舫の「1番じゃないといけないんですか?」になってきて
我ながら、笑う、そういえば彼女と私はほぼ同世代か。
幸せっててっぺん目指すことだけではないでしょう?の価値観は情けないけど、ある意味、正しい。全員がてっぺんまで登れるのではないから。
でも、書いていると、私のやる気のなさというナルシシズムも見えてきて、とりあえず、娘のことを言い訳がましく母に話すのは、やめようと決意した。
私は進んだ道が正しい道、というか、正しい道にするのが人生だ、と思う。
なんというか、昔の人の考え方というのは、本当に真面目だなあ、と感心しつつ、それはやはり淘汰されるのだろうな、と寂しさも感じる。
母も私も、二人で娘の幸せを願う気持ちは変わらない、それはとても、娘にとって、幸福なことだと思う。