雑談。

久々にコンビニに行ってしみじみ商品を眺めてきてしまった、、用でもなければ、コンビニって行かないしね。
前に行ったのっていつだっけ?「うかーる」とか、お受験お菓子を買い集めに行った記憶が、、
今回、初めて振り込みをコンビニでやってみて、待たされないのがいいな、とコンビニはどんどん進化していってるもんだなあ、なかなか面白かった。
でも、田舎に住んでいる私のような主婦はほとんど行かないところなのよね、子どもたちの世界、と言う気もするし。
さて、プレドニンの減量も、いよいよ最終段階に入って「ほうれい線」が復活しつつあるわ、、(涙)
「ムーンフェイス」の掲示板でプレドニンを服用している方が「ほうれい線が無くなった」と嘆いて(?)いらして、
確かにピーク時はなくなったわ、「ぱんぱん」な顔になった、ホンマ、クスリって怖い。
先日、歯医者で見かけた先生が説明をする前に「ええー、聞いてないー」と言う患者さんの話を身内の勤務医に話したところ、
「そういう人は山ほどいる」「僕はすぐかえってもらうね、「患者はあんただけじゃない」って」
根気よく相手をするのは、先生の性格にもよるってことか。そういえば別の身内の勤務医も患者さんとよく喧嘩するって話を聞いたなあ、
「血の轍」ってヤツなのかしら、いやはや。
「気に入らないんだったら、主治医を変えてください」と、ううむ、強気。「それくらい言わないとやっていけない」んだ、そう。
ところで、いつも読むところで「東電」の家族の話を読んで、都会では、特に東京では、電力なしでは生活が出来ないだろうに、と、妙なところが気になってしまう。
驚くほどいろんな「便利」が電力で成り立っている、その「便利」をまったく意識せずに享受していることへの反省なしには
東電の完全なる被害者とは言えないような、つか、私の場合、山ほどある一人暮らし用のキッチン設備が「ガス」ではなく「電気」式であることへの違和感があるんだよな、
家を建てる時もしきりに「オール電化」を進められたし、とにかく「電化」「電化」と、使わずにすむようなところまで「電気」を使わせようとした気がする。
しかし、東京で、あれだけ立て込んでいたら、部屋の中で「火」を扱うのは「危険」だと、しみじみと感じる、
わが子が住まう立て込んだところの部屋で火が出ようものなら、いったいどのように恐ろしい事態になるか、
乾燥している関東平野で、火が燃え広がるのは目に見える、しかも消防車が入ってこれるかどうか、みたいな道のところもあるしなあ、、
(かろうじてわが子の下宿は大丈夫なんですが)
「誰の責任でもない」とは、ディケンズのリトルドリットの中の一タイトルだったな、えーと、「nobody's fault」だったかな?
これは「ノーバディが悪いんだ!」という意味だと小池滋が説明していた、「ノーバディ」にはいろんな意味があるよな。
「東電」云々に関しては、「誰でもない人、取るに足らぬ人が、悪いんだ」と、まあ、そういうことでしょう。
今週は、なんだかんだで忙しくなりそう。