「私、「益田ミリ」、嫌いです。」

益田ミリが苦手だ、と言えば、なんとなく「人非人のばばあ」的に扱われそうな気がするが、読む度「いらっ」としてしまう。
うちのダーリンは好きらしく数冊買ってきて、わたしも2冊ほど読んで、ご自身が作家になるまでのあれこれはわりと好感を持って読めたんだが、
もう1冊は「なんだかな」だったので、以降は読んでいない。
これは私だけかと思っていたら、二人の娘たちも私が何も言わなかったにもかかわらず
益田ミリってなんかいやな人だよね」「読みたくないよね、なんで、パパ、こんな人の本を買ってくるの?」と父親にぶうぶう文句を言っていたので、
親子で同じ感触を持つらしい、「この人って男の人は好きそうな感じだよね」と鋭く下の娘が指摘したのが印象深い。
それはともかく、益田ミリ朝日新聞で「オトナになった女子たちへ」のコラムを書いていて、
今回は「40代のわたしたち」ネタなんだが、ビミョーに若い新婚に意地悪だったりする。
何げなくさらっと書いているけど、ふつー「結婚祝い」を40歳の誕生日祝いと「合同」でやらないだろ、ってか、そんな会で「結婚は何回でも出来るけど」なんて、
ちょっと面の皮厚すぎる言い方だよな、それこそが「40歳、女子」の面目躍如ってヤツかもしれないが。
「気の毒なのは近くにいる若者である」と一応の「エクスキューズ」はあるものの、そもそも「若者」って言葉自体、おかしい、
「40歳」は「女子」なのに、実際に若い人間を「若者」とは、その奇妙な厚かましい「甘え」はいったい何なのか、
「女子」以上に「オトナ」なのが「若者」だと私には思えるので、結局、周囲にいくらでも甘えてしまう人間である、と言うのが「女子」なのか、
同じタイトルで交代でコラムを書いている「爆笑問題」妻の話は特にさわりなく読めるのに、何故、益田ミリには「いらっ」と来るのか
「同世代」であるという以上の何かがあるのかもしれない。
「私って、女に嫌われる女なのよね、、」といいたがる女がよくいて、その女に感じる「いらっ」と感に似ている気がするな。
そういうセリフは、自分の「崇拝者」(決して「友達」ではないところがみそ)の前で言うか、あからさまに「男」の前で言うか、
パターンはたいてい決まっていてそのセリフを「一般女」であるわたしたちはあとで聞かされてますます「いらっ」と来てしまう、
「そういうことを言ってしまえるから、嫌われるんだよっ!」とは、まあ、言わない方が無難だ、、
「えー、なんで嫌いなのー?」とはうちのダーリンに代表される無邪気な男性、
いいんですよ、あなた方には永遠にわたしたちの「いらっ」と感がわからないで、、、(涙)
たぶん巧妙に装われた「不器用さ」が私の「ハナ」につく、
息するように「自分、不器用な女子なんで、、」ってな「器用」な女が世の中には存在しますことよ、、、
それに気がつかないでいられる男はやはり男だなあ、と、二人の娘たちはこの手の「器用」を身につけていないようなんで、よかったような、残念なような、
ま、毎日、朝日新聞にツッコミを入れるなよ、と自分でも思ったりして。おとなしく数独でもするかな。