雑記。

澤選手が大変立派な賞をまたもいただいたそうで、喜ばしい。
女子サッカーでもっとも泣けるところは「お金がない!」で、
貧しさの中、つましく、グチひとつこぼさず、優勝までしたが故に「ナデシコ」と呼ばれるにいたったのかしら、、、などと、
いらないことを考えてしまうわ、しかしこの女子サッカーチームほど「清く貧しく美しく」の言葉がふさわしい集団はないな、
今まで彼女たちをそういう状態に放置してきたことを、もっと日本人は恥じるべきなんだろうなあ、、、
知り合いのお嬢さんが女子サッカーをしているのでその存在は知っていたけれど、「もっとメジャーなスポーツをさせればいいのに」なんて思っていたよ、
そのお嬢さんは次世代を担うメンバーの一人なんで「せっかく運動神経がいいのにほかのスポーツでも、、」なんちゃって、
本人がしたいからやってるんだよね、
そこもお兄ちゃんと弟のついでにサッカークラブに所属して、今はお兄ちゃんも弟もやめたけど、本人が「好きだ!」で続けている。
合宿の、遠征の、と家庭の経済的負担はスポーツ関係はすごいんだよな、話を聞いて、泣けてくる。
フェミニズムって、もっとこういうところに来て騒いで欲しい気がするわ、スポーツ系は女子と男子の「格差」があまりにも歴然としていて
これに何故、目をつけないのか、それは声の大きいフェミニストが子どもを作らなかったせいなんだろう。
「地に足のついた活動」というと、自分の知らないことはできなくなる(当たり前か)、
子どもがいれば、子どもを通じて社会の矛盾もよりはっきりと見えるはずなんだけど。
子どもがいなければ、ヒマがあるので声も大きくなる、
子どものいるフェミニストは忙しすぎて、なかなか大声を上げられない、
でももし、「よりよい社会」を作るためなら、まず「子ども」のことを考えるべきなんだよね、子どもを、持つ、持たない、に限らず。
「子供を持たない権利」をわたしが大切だと考えてきたのはその選択肢があることで「子供を持つ権利」もより尊重されると信じていたからだけど、
なんとなく「子供を持たない権利」がむしろ「子供を持つ権利」を圧迫するようになっているみたいで
「好きで産んだんでしょ、自己責任!」的な、子供を持つ人間は、戦う相手がより増えてしまったなあ、などと、ぼやきたくなったりして。
これからのフェミニストは、子供を持つのが「当然!」的な感覚を持っていて欲しいけれど、
ネットを見ていると、なんとなく「子供を産むことから逃げるためにフェミニズム活動にいそしむ」的な人もいたりして、
何かから逃げるための「活動」ってどうなんだろうな、それは最終的には破綻するんじゃないのかな。
子どもを「出来たときに産みたい」と思っても、「今の時期に妊娠なんて、信じられなーい!」などと、
いまだ騒がれている現在、ネットで相当ブクマを稼いでいる記事を見たけど、ネットでそれなりにフェミニスト的発言をしている人たちは
無反応だったりして、いやはや。
「ポルノ表現」なんかにはとても機敏に対応するのにね。好きなのは「セックス」という「行為」だけか。
その先にあるものを恐れている自分とある種のフェミニストが向き合わないのは何故か、
いつか、それと向き合うフェミニストにあらわれて欲しいものだと思う。
そういえば、昨日、内田春菊の「わたしたちは繁殖している」の最新刊を読んだ。
内田春菊こそ「フェミニスト」だという気がするが、ご本人的にはどうなんだろう?
中村うさぎさんや西原理恵子は「フェミニスト」扱いされるといやがると聞いたことがあるけれど、そういうものかもしれないな。