だらだら雑談。

今日は「成人の日」だということをころっと忘れていたわ、来年はわが子がそうだというのに。
子どもが大学に入って「はぁ、やれやれ」と思っていたら、もう「成人式の着物のご用意はまだですか?」と、なんでも早いわぁ、、、幼児教育なみだ。
着物を選ぶのは楽しそうだけれど、なんだかんだで忙しい娘に選ぶ時間があるのかどうか、春休みは海外研修に出る予定だし、どうなることやら。
話はがらりと変わるが、先日「老害」という言葉がめまいとともに私の脳裏をよぎった文章をネットで読んで、
はて「シノドス」とは「知」のなんとか、と言うサブタイトルがついていたような気がしたが、実は「痴」か「恥」ではないのか、
だらだら無駄に長い文章を読みとおすと要は「イマドキの若者のバーカ、バーカ」との内容をこの上なくいやみったらしく、ねばく書いているだけの、
なんつーか、最後のほうになるとこういう「テクニック」だけで他人をだませると信じる無邪気さが、あまりにも憐れで
これが私と同世代の人間の代表的文章か、と思うと、泣けてくるものがあった。
以前、「たたき売り」よしもとばななの文章を読んだのと同じ感慨があったわ、、、(涙)
「絶望の国の幸福な若者たち」を徹底否定している文章なんだけど、「そう見えるかもしれないけど、実は違うんだよ、これは叱咤激励だよ」って
あんた、それでも教育者なのか、これだけいやみったらしく書いているのがごまかせるとでも思っているのか、
たとえば「ここでは都合のよいデータや識者見解を適宜つまみ食いするという「本書」のスタイルに倣い」なんて書いておきながら
「わたしなどはとても及ばない優れた才能の持ち主であることは、「本書」を読めば誰にでもわかる」などと、
どこまで批判する相手をバカにしているのか、そしてその文章を読む人間をバカにしているのか、
でも「これは暴論なんで」って、大昔、子どもがやっていたZ会の小論文テキストに載っていた
「これは暴論である、などと書くのなら、はじめから何も書かないほうがいい」の言葉を思い出してしまったわ。
「暴論という叱咤激励」なんて存在しないのよ、それすら知らない人間が大学の先生をやってるんだなあ、と
また「大学の先生はアホが多い」などと、身も蓋もない思いがよぎってしまったわ。
なんだったら、この山口先生には「生存戦略ー!」と叫んでパンツでも見せてもらった方が、いっそ、同世代としてはあきらめがつくわ、
ただの「バカ」だもの、馬鹿な人間はどこの世代にもいるってことが誰にでもよくわかるし。
いやみったらしい批判の対象になっている本を読んだことはないのだけれど、話題になっていることは知っていて、なんとなくその内容は
加賀乙彦の「不幸な国の幸福論」と同質のものがあるな、と思ったんで、でも80すぎの加賀氏にたてつくこと出来ないけど
まだ20代の若者にはねちこく絡むことは出来るのね、ああ、それこそがバブル世代の病理だわ、山口浩氏より私は4歳若いが
この人と同じ「くくり」に自分はなっちゃうんだろうなあ、と絶望の国の絶望的な40代はさらに絶望を深めるのでした。
なんちゃって、「絶望」なんてちゃらい言葉はとっくの昔に忘れてしまった中年なんで、ホホホ、全然絶望していないのよ、
それに少なくともわたしの見る限り、わたしの子ども世代はかつてもわたしたちよりずっと優秀であるのを知っているのでね、
絶望なんて全然しない。
大不況下で、ゆとり教育でもまれながら育ってきた子どもをバカにすんなよ、そして、去年の「3/11」を10代で経験したこれからの世代は
かつての若者よりもはるかに賢くなる。
あの文章に関して書きたいことは山ほどあるが、今日はここまで。
あほな大人にかこまれているわりに、子どもは立派に育つものだ、これを「反面教師」効果、と言う。(かな?)