新聞離れの一原因。(かも)

今朝、朝日新聞で「いま、子どもたちは さとり世代 勝ちたいと思わない」を読んで、なんともわかりやすい記事にうんざりする。
都内に住む40代の夫婦と「さとり世代」と名付けられた10代後半の子どもたち家庭の話が例に取られていて、
ちょうど親が私と同世代で子供も同じくらいなんで読んだものの、「だから?」と尋ねたくなるような内容で、
要約すれば、大学生の息子も高校生の娘も、バブル世代の親と違ってガツガツせず、親から見れば世界が狭い、と
「いまどきの若者ハー!」論で、このご夫婦は「新人類!」と呼ばれた世代のはずだが、そう呼ばれてどう思ったのか、聴きたくなった。
私も「バブル世代」で「新人類!」だが、このご夫婦と違って、10代後半からガツガツ「他人に勝ちたい!」と思ってはいなかったので
親からは、どこか超然としているように見えるのはこの時期の子供特有の現象じゃないのかな。
「ゆとり」教育を受けたから「さとり」世代だ、とは、新聞側のわかりやすい構図というか、くだらないダジャレと言おうか、
このシリーズは続くようなんでどういう着地に持ち込むか、
「いまどきの若い人たちのことを「さとり世代」と呼ぶという。他の世代とどう違うのか。10代の実態に迫ってみる」と古田真梨子さんは書かれているので
さて、この真梨子さんはおいくつくらいの方なのか、30代くらいで「いまどきの若い人たち」と書けるんだったら、ある意味すごいな、と読んだのでした。
10代の実態なんかには決して迫れません、でも「迫ってみる!」と書くとかなり臨場感は上がるな。
新聞は常に「これでいいのかー!」と、どうということでもないものを問題視し、非難を匂わせるが、
そのお決まりのやり方を「これでいいのか?」と自分に問い直すことは決してないのかしらね。
私の子供たちの傾向も、この都内のご夫婦の子供たちに似通った部分もあるものの、
子供は育てたように育つのだから、私は「これでいいのだ」としか思わない。
生きている時代が違うのだから、親世代と反応が違うのは当然のこと。
そもそも「俺たちの若い頃はもっと!」的なお説教、若かりし頃の私は聞かなかったですよ、聞いてた人っていたかしらね。
新聞のように何十年経っても同じような手法でしか記事を書かないものが、いつまで生き残っていけるのか、
そろそろ購読を本気でやめようかと私世代に思わせるようだと、救いがない。
年寄りは、いつまでも生きてはいません、を新聞社には知って欲しいものだわ。
それにしても「さとり世代」って、私は朝日新聞以外で見かけたことがない言葉だが、初めて出たのはどこなのかしらね。
ま、いつまでも「いまどきの若者は」と呼ばれる世代は生きづらい、と思ったのでした。