雑談。

昨日は新聞で、佐世保の事件での、加害者の父親に余りにも都合のいい話を読んで、愕然としたので、ついネットにメモっってしまった。
この件で、印象深いのが被害者のご家庭がどうやら「転勤族」らしいこと。
深刻な事件で子供が被害者となる事件では転勤族の子供というのが目立つように思う。
かつて転勤族をやっていた人間としてはその「理由」が分かるだけに複雑な気分になる。
「地元の情報」に疎いのだよね、、、「よそ者」にはなかなか、必要な情報は伝わらないのよ。それでもたいていはなんとかなるものの、
いろんな「知らない」ポケットに落ちてしまうと、大変なことになってしまう。「転勤族の子供」はいじめのターゲットにもなりやすいしね、、(涙)
それにしても、適切な時期に適切な治療を施していれば、救えた命であるというのに、
今後に及んでも「私の再婚とは関係ない!」と言える父親とは。妻が亡くなって1年も立たない男と結婚したがる女が「新しい母親」とは。
一番気の毒なのは被害者とその家族だけれど、加害者自身も哀れで仕方がない。
ある程度以上の家庭で、経済的にも恵まれているようなのに「療育」をしてもらえなかったのは「育児放棄」も同然だ。
教育も療育も、限界はあるだろうが、それでも全く施されないのは問題ではないのか、というか「虐待」だろう、それ、というのが私の意見。
せめて、父親が再婚を1年待つ程度に良識のある人間であったなら、としみじみ思う。それでも起こった、とは私は考えられない。
心の傷の一番の薬は「時間」だものね、、死者への思いやりは、実は生きている人間への思いやりでもあるものよ。
ということに関連して、葬式ビジネスについての愚痴をネットで読んだが、書き手の人には残念だが、やや、身勝手な意見に思った。
宗教を社会慣習として利用するという考え方自体「ビジネスライク」なので、相手も「ビジネス」として対応するのに引っかかりを感じるのは、
都合のいい「昭和」を引きずる世代に特有かも知れない。
読んだ限りでは、かなり自己都合を通しているので、その上で文句をつけられるのでは、イレギュラーに対応した業者が気の毒だ。
葬式とは墓所のある寺が取り仕切るものだから、それとは違うやり方をしてもらえるのは、やはり利用した機関が「ビジネス」として成り立っている所以だろう。
今、亡くなる人の子供世代が大体50〜60代で、時々葬式に参列するが、どうも特にいろんなことに「こだわり」の強い50代が面倒くさい印象が私にはある。
「墓」問題でもめている話をよく聞くのだよね、、、
故人にとって「孫」がいない場合、つまり子供世代に子供がいない場合、墓を用意しても、その墓を「守る」人間はこの先、永遠にいない。
というわけで、「永代供養」を勧められるものの、なぜか、それはハードルが高いらしい。それがやはり「昭和」世代なんだなあ、と私には感慨深い。
我が家では、つか、マイダーリン家では墓をもっと広くしないと私たち夫婦は入りきらないようなんで、
私は自分はとっとと永代供養にしてもらおうと思っているが、現在難しい世代のマイダーリンはその件に関してあまりいい顔をしない。
なんにしても事件で「逆縁」にされるのは、本当に辛いな、と、今しみじみ。
来週は従姉妹が子供たちを連れて帰ってくるので忙しい。小さな子供たちって、本当に輝いていて、いいわぁ。