朝日新聞の謎。

いかにも朝日新聞らしい特集「リスク社会に生きる」を生暖かく読んでいるんだが、今朝読んだ記事(シリーズ7)はあまりにもひどくて涙する。
冒頭にあげられた「千葉の内房」に一人で暮らす69歳の女性が元日に東京へ1泊2日の旅に出て、一般参賀に行って
「古希になる年をたった一人で迎えるなんて」と、これを「カワイソウ」と感じなければ「人間じゃない!」のかもしれないが
続く話を読んでいると「いや、それはあなたが選んだ生き方だから」というよりほか、私には反応のしようがない。
そもそも「夫とは長く別居が続いている」にもかかわらず
「最後は娘や孫に看取られたいと思い、高齢者施設にはいるための貯蓄から2千万円あまりを取り崩して娘夫婦と一緒に中古の家を買った」そうで、
ハテ、「別居中の夫」はどちらへ?と、思っていたら、娘との同居は「半年経たずに破綻した」
きっかけは「食事や好みの違いなど小さなこと」「食べたい品を買ってきたり、外食したりして娘に煙たがられた」
「憎しみが高じ、最後には娘に殴られた」と、そりゃーあんた、娘に殴られるだけのことはしているじゃないの、
「もう少し親への情があっていいんじゃないの」なんて、イマドキ「中古」の家に一緒に住んでくれるだけでもありがたい存在の娘を慮かって
「もう少し子どもに遠慮してもいいんじゃないの?」と私ならいうな、
一応「親子だから遠慮を忘れていた」と反省はあるようだけどね。
そもそも、夫を「長らく別居中」でかたづけている自分の母親の存在を、決して娘はありがたくは思ってないのがわからないかな。
その程度の「常識」がない「古希」をむかえる女性とは、非常に「まれ」なる存在ではないか、
そういう「まれ」なる存在の女性が「家族もいるのに、私には心を開いて話せる人はいないと涙が出た」とは、
これを「長生きを素直に喜べずリスクだとすら感じる社会にわたしたちは生きる」とされても、
「自業自得や常識って言葉をご存じでしょうか?」と
この女性にも、また、こんな奇妙な人の話を典型的な「家庭の不幸」であるかのようにとりあげた、この記事を担当したらしい
朝日新聞の「藤橋和也」氏や「山吉健太郎」氏にたずねたくなる。
藤橋氏や山吉氏がおいくつの、どういうご家庭出身の、どういうご家庭をお持ちの方かはわからないが、決してこの女性は同情に値する人ではないですわ、
こんなにもおかしな人を冒頭にあげていては、続く「若年層」のもがきも、「なんか違うんじゃないのー?」と疑いたくなる。
朝日新聞には特有のパターンがあって、「いや、それは違うだろ」な人をいかにもな「被害者」として、しかもその特異な経験談
「これこそ典型的な社会の不幸!」と歌い上げる、朝日新聞社にお勤めの方は、本当に育ちが良くて世間が見えていないんだなあ、と
イマドキこんなにも恵まれた人間もいるって事実も社会の大きな矛盾だな、なんて、ひねくれ者の婆であるわたしは思ってしまうわけだ。
冒頭の女性に私が言うべき言葉は「老いては子に従え」だけれど、それをする能力は彼女にはまったくないだろうから、
自己憐憫に陥ったあげく朝日新聞の記者に連絡をとって「自分のこの悲劇を受けとめて!」とするだけの「つて」を得る能力はあるんだし、
それを磨き抜いて、なんとかがんばれ、だな。
つか、どうやって、こんな奇天烈な人を朝日新聞は見つけ出すんだろう?
ホンマに新聞社にお勤めの方の「発掘」能力は不思議だわぁ、、、