雑談。

ニューオータニのアーケードに「バレンチノ」と「シモネッタ」があったように思って、調べてみると、「シモネッタ」は「マ・メール」という子供服店に入っているブランドらしい。
そこも「バレンチノ」もみな「サン・何とか、赤坂」という店(?)が運営しているところらしく、紹介には、その「なんとか」しか出てこない。
確認のためにオータニのホームページを見て、名前が見つからなかったので、またどこかとまちがえたかと思ったわ、
そして「スタバ」ではなく「タリーズ」だったことも発見、とりあえず「ドトール」じゃなかったことだけはわかってるのよね、、もうダメだ、私の記憶力。(涙)
それはともかく、何故あの記事に違和感を覚えたか、を書いてみる。
読んだとき、その「プロ独身女性」が「外資系」に勤めている、とあったので、ニューオータニのビジネスフロアー(だったか?)には
外資系の企業が入っているから、職場帰りに寄るのにちょうどいいって事なんじゃないか、銀座や丸の内、有楽町がにぎわった理由みたいに、
と思ったが、「オークラ」にも行かれるとのことなので、違うか、と、いろいろ考えて、結局「違和感」は記事の内容より
むしろ「プロ独身女性」という私には初めて聞く「言葉」のせいかもしれない、と思った。
「プロ独身女性」って、つまり「独身女性のプロ」=「長く独身を続けている」=「独身中年」ッてことなのか、それとも
「独身女性を貫きます!」=「結婚するつもりなんて全然ありません」で「プロ」と呼ぶのか、
どちらにしろ、そういう「言葉」ってどこかうっすらと差別心を感じるんだな、「僕はこういうヒトを結婚相手には選びません」と宣言しているような、
明らかにわたしの考えすぎなんだろうけど。
つか、たぶん、たいていの男性はホテルで服を買う女性を配偶者には選ばないッてのが、私には見えてしまうんだよ、
高すぎるものね、「バレンチノ」なんてニット1枚で大卒初任給くらいするんじゃなかったっけ。
そういうものをいくら稼いでいても「自分で買う」人を「妻」に選ばないのがある程度以上の男性の現実、
「親に買ってもらってたので、自分で買ったことありません、自分で買おうとして高くて驚きました、自分では買えません」
みたいな女性が結局は配偶者に選ばれる。
その女性が同じように稼いでいても、「お金」の使い方、その「意識」の違いを、男性は結構チェックしているんだよ、
細かくていやーね、って思うけど。
「自分で稼いだお金を使う事に意味がある!」ってポリシーな人なのか、
それとも「いつか私の配偶者になる人は、これくらいのものを私に買ってくれる人じゃなきゃ、いや!」な人なのか、
それなりに稼ぐ男のシビアな視線をどの程度まで同じような位置にいる女性が意識しているのか、同世代ならそれに気がつくことはたぶんないんじゃないか、
それは幸せなことでもあり、不幸なことでもあり、「お金の使い方」ひとつをとっても未婚女性は「見られている」ってのが私にはもの悲しい。
ある程度のサービスを手に入れられる「ホテルで服を買う」ことは未婚男性にとっては「ステイタス」になりえても「未婚」女性は、そうじゃない、
「プロ独身」=「一生独身」である「つもり」でなければ。
だらだら長くなったので、この辺にしておくが、自分の稼ぎでホテルで服を買う人同士が「結婚」にいたるには、どういう「背景」があるか、
調べてみたいような、そういうことがあるのかどうか、
ま、私の場合、かわいい娘の結婚相手が「ホテルで服を買う」人では「ない」方がありがたい、
私のような人間にとっては、服にこだわる人であるよりはもっと別な面にこだわる人であって欲しいのよね、
ユニクロ着ててもココロは「ブランド」であって欲しいわ、でも本質的に「ブランド」なんてなんの意味もないのよね、、
ホテルで服を買うなんて、よほどせっぱ詰まった事情でもない限り「ありえない」単にけちな上方生まれのオバはんのタワゴトでした。
昨日は血液検査でひっかかり、これからあれこれ再検査。トホホ。