めも。

ミス・コンネタでは「貧しい女性の唯一の階層上昇の機会」的な意見も出ているらしく、いったいそれはどこの国のミス・コンなのやら。
日本じゃとっくの昔に、裕福なご家庭出身のお嬢さんの「就活」の一部でしかないというのに。
はてなの話題で見かけただけで読んではいないのだけれど、この先読むこともなさそうだ、常識的レベルでものを言ってほしいものだなあ、、
さて「めしばな刑事・タチバナ」の話を書きたいと思いつつ、あまりにも思い入れが深すぎて保留、
「花のずぼら飯」よりも私はこちらが遙かに好き、もう、比べものにもならんわ、
よしながふみの「きのう何食べた?」でもそうだが、私は設定にうんざりすると、レシピにもうんざりする、
くりかえし書くが、定職に就いていなくて子どものいない30既婚女は相手の転勤先でパートを見つけろ!
なぜ「別居」なのか、さっぱりわからん、いまだにそれが納得できないので、レシピなんて頭に残らず。
よしながふみの「きのう〜」も何故、ゲイカップルネタで書くのか必然性が感じられないので、のれない。
腐女子要素がない人間はオッサン漫画にしか活路はないのか、泉昌之の「食の軍師」は何故話題に出ないのか、哀しい。
なんだかんだでまたあちこちの病院はしごなので、読みたい本のメモ。
昨日、朝日新聞の書評欄にあった「記憶を和解のために 第二世代に託されたホロコーストの遺産 エヴァ・ホフマン 早川敦子訳 みすず書房
これはホロコーストのトラウマを背負った世代を親に持つ「第2世代」の葛藤の軌跡をつづった本、らしい。
この世代がちょうど「マウス」のアート・スピーゲルマンになる、
わたしはこれを1度目に読んだとき、ホロコーストで生き延びた人の記録、と記憶したが、数年前に読み返して初めて「父と息子」の話でもあるのだなあ、と理解した。
凄絶なホロコーストから生き延び、いまだそのトラウマから逃れ得ない父親とその圧倒的な影響下にあった息子の葛藤、
私自身が戦争のトラウマを引きずる親の子どもであるから、考えさせられるものがあった。
ここ数年、衰えてきた親とつき合う機会が多くなって、必然的にほかのお年寄りを見ることもあったりして、「戦争」が残した傷は
世代をこえて深いのだと、実感する。
しかし、私が覚えさせられた「戦争」と実際の「戦争」はどうも「違う」んじゃないか、強烈なトラウマとして描き出される戦争の世界は
現実のそれより戯画化されてやや娯楽めいていたりして、
私が最近何かにつけ、よく思い出すのは確か小田実が「今の賑やかな大阪の町を歩いていてもふと、あの焼け野原の風景が脳裏をよぎる」と言った言葉で、
そこから逃げるためにされたあれこれが、どこかで子ども世代の記憶を歪ませている、そんな気がする。
それについては、そのうち書きとめる、戦争の記憶を持つ親というのは本当に憐れだ。実家父を見ていてそう思う。