数は、希望。

ちきりんさんの「少子化対策なんていらない」エントリを読んで、ずいぶん悲観主義者なんだな、
「混乱ラバー」って本当?と思う。
人がいるから世界は「混乱」するんだよね、人がいなければ「混乱」なんか生まれない、つか「混沌」か。
「混沌」がなければ、新しいものなんか生まれないんだよ、多くの人を救うための新しい「発見」とかね。
不思議なのは、今年、国全体で、これほど多くの命が一瞬にして奪われるのを見てきたのに、
それでも「人を減らそう」って意見が言えること。
生きていけるはずだった人の命が3月11日、たった「1日」で失われてしまった。
命の火はなんとはかないことか、その命の火をともすのに、わたしたちは十月十日を待たなければいけないのに。
たかだかエネルギー問題ぐらいで、その貴重な火を点すのをやめろってか?
私は「人口が増えすぎると困る!」ってのは「先進」欧米諸国の「理屈」でしかない気がするんだよね、
「オレたちがオレたちのステキライフを維持するため」の身勝手な「理屈」。
どこで読んだか忘れたが、アメリカの、とくに肥満者が摂取しているエネルギーを均等に分け合えば、
世界に飢えている子どもはいなくなるそうだよ、
納得できるよね、自分で歩くことが出来ないほどの肥満者がアメリカにはいるもの、
あの極端な脂肪分を維持するために途上国の人口を減らせってか?
「食料が足りない」「エネルギーが足りない」と、もっともらしい深刻さで語られることは多いけれど、
それって結局「人が足りない」って事でもないのかな?
「もっと多くの食料」「もっと多くのエネルギー」って、人が今まで作り出してきたものだよ、
「足りない」って理屈は、何かがおかしい、人がいなくなれば「足りる」わけではないと思うわ。
命そのものもまた「エネルギー」、それを減らすのって正しいこと?
そして、わたしたちは自分たちが生み出したエネルギー「原子力」と、共に生きていくことも出来ないくらい「弱い」、
暴走する原子炉のそばでは暮らせないほどか弱い存在の「数」を減らせば、「みんなハッピー!」って本当かな?
もし、この先も原子力を使い続けるつもりならば、たぶん、わたしたちは命の「数」に賭けなければこの星では生き残れない。
この星に人が誰もいなくなってもかまわない、と思うなら「数を減らしても大丈夫」なのかもしれない、
でも、私は、この星で、「混乱」しながら「混沌」と人が生き続けていくのを望む。
エネルギーを奪い合うばかりではなく、分け合いながら生きていける道を多くのひとが考える方を選ぶ。
私は「人」という存在に決して絶望しない。
ともに生きようよ。