メモ、その2.

増田にはみごとな「釣り」記事があって、時々、私も釣られてしまう。
昨日メモした増田記事に対する「違和感」は、この書き手が「貧乏な原住民」の側に立っていると称しながら、
なぜか「肉体労働」を蔑視しているせいか、とも思ったんだけど、
ゆっくり読んで、ほかにもさまざま疑問に思うところがあったので書き残しておく。
まずはこの書き手の「年齢」がわからなかったこと、
はじめの記述を読んでいる限り、現在40半ばの私より年上と感じたものの、どうも腑に落ちない。
ちなみに私の生まれ育って今住んでいるところもまた、
増田に書かれたと同様、新興住宅地が出来て、現在一部「お屋敷街」的にもなっている。
ビミョーに私の経験にも似通うところがあるんだが、なんだかやっぱりピンとこない。
前半記述からこの話は昭和4〜50年代に思えるんだが、子どもの服装が「ジャージ」だ。
わたしが子ども時代は「ジャージ」はそれほど一般的ではなかった、むしろちょっと「オシャレ」であったほどだ。
少なくとも地方都市では。
ジャージが貧乏人の制服的存在になるらしい私より下の世代であったとしても、
膨張する地方都市周域で「塾がなかった」は「ありえない」、
私が住んでいる地域ですら、わたしが子ども時代にすでに「学習塾」が存在した。
ビンボー人相手でも小銭稼ぐ程度の「寺子屋」塾はどこにでも存在するものだ。
まあ、だいたい「そろばん塾」から発展する。
「そろばん」塾は、どんなイナカの低所得地区であっても必ずといっていいほどある。
それが「ビンボー人」の知恵、と言うべきか。
記事の後半を読んでいると書き手はかなり「若い」印象を覚える、
私ぐらいの年代で「ビンボーな原住人と育った」人間であれば、それほど「肉体労働者」を「底辺」とは考えない。
「ホワイト・カラー」になること「だけ」が階層上昇の手段と考えているらしいのが、書き手の「幼さ」を感じさせて、どうにも。
そして私世代で「18歳で子ども産む」のは「底辺」と言うより「イナカの普通」、
私の同級生で「底辺」は中学卒業してすぐ出産、ってのもざらにいた、それが「貧乏な原住民」ってもん。
この「増田記事」はいかにも英国暴動事件に遭わせて上手に書かれた釣り記事のような、ちぐはぐ感があるんだよな、
いろんな情報寄せ集めて、適当にもっともらしい話を作ってみました、ってな、
よくやってるなあ、だけどね。
どこかにありそうで、実はない街を、言葉で作り上げる目的はなんなんだろうね、何らかの「広報活動」?
この手の町で問題になるのは、現不況下で、新興住宅地に家を建てて自分たちを「中流」と信じて生活してきた人たちの子ども世代が
無事「ホワイト・カラー」になれたかどうかで、彼らが「なれなかった」場合の方が日本では「暴動」となりそうだ。
先日、まだ子どもだったろう時期に「4000円のシャツが安かった」某「希望は戦争」氏がこれにあたるんじゃないかな。
彼は確か、中学生で30万、高校生で80万円のコンピューターを親に買ってもらったといつだったか書いていて、
私は腰を抜かしたものだが、こういう中流なんだかどうだかわかりにくい層が、いちばん社会問題化するんだよ、
底辺の人間は底辺なりに生きていくすべを身につけているからね。
それは常に公共の福祉を利用することではなかったりして、そこが上手な増田記事を書く人間には見えない。
まあ、少なくとも「肉体労働者」は「底辺」ではないからね。ヘタな「ホワイト・カラー」より金を持ってたりするよ。
それが見えていない増田の書き手を私は信用しない。それだけのこと。
それだけのことをこうもながなが書くなよー、とおのれに突っ込んでしまうわ、とほほ。
ふたたびしばらくおやすみ予定。