めも。

ヒトラー 最後の12日間」は上演された当時賛否両論だった、とのことで、自分はどちら側になるだろう、の興味で見てみたんだが、
ヒトラーナチスに知識のない私は「賛」側だったんだな。
娯楽風味もついた感動作として楽しめたし、全編を通じて情け容赦なく降り注いでくる爆撃は、
かつて日本もそうだったのだろうと、同じ敗戦国の人間として、涙した。
極限状態の人間ドラマもおりこまれて長さを感じさせないいい作品だ、と思ったものの、
主要登場人物の中で私がいちばん共感を覚えた「シェンク博士」(だったか?)をウィキペディアで調べると、
どうやら悪名高いダッハウの収容所に関係していた人らしい。
ううむ、これじゃ「否」が出るのもしかたがないのかも、と、見終わったすぐに「否」は
収容所でなくなったユダヤ人の数よりむちゃくちゃな戦争で犠牲になったドイツ人の数のほうが多い、
と言う「付け足し」が映画の最後に出てくるのがいけなかったのかな、などと思ったりした。
で、「私はヒトラーの秘書だった」を読んでみたんだけれど、もっと読んでみないとわからないなあ、が結論。
でもやはり「ヒトラー 最後の12日間」はおすすめのよい作品だ、私はたぶん、ずっと「賛」側だろうと思う。
しかし、ヒトラー、終盤の最初のほうで死ぬやんけ、彼の「最後の12日間」ではないのよね、
元タイトルは「崩落」を意味するドイツ語らしい、英語で「down fall」だったっけ。ホンマ、ウィキは役に立つ。
時間があるときに映画と本の感想を書くことにして、先日買った「ロカの定食」の続編「ロカの弁当」を買おうかどうか考え中。
まだ何も作ってみていないものの、これは良さそう!と、食べにいってみたいわぁ、「ロカ」。
「うかたま」をじっくり読んでいて最近時々見かける「ローフード」の言葉が気になる。
たしかやはり「うかたま」だったと思うんだけど、弁当の中に「ローフード」と称して生のブロッコリーを入れていた人がいたんだよな、
「生で食べることによって野菜のパワーがどーのこーの」と、
「生」で食べるよりは火をとおした方が栄養素が体に吸収されやすい野菜ってもんがあるだろうに、
今月号では「ゴボウ」の生が紹介されていて、この手の野菜で生で食べてもいいのは「ほりたて」「とりたて」だけじゃないのかな、
とった瞬間から、野菜は老化していってそれが「アク」となるんじゃなかったかな、ならばそれを落とすために「火をとおす」が食の「常識」ではないのか、
「火をとおす」の化学変化を否定するのはどうよ?と、どうしても解せない。
そもそも、うまいか?トウのたったブロッコリーの「生」、私にはさっぱりわからない。
そんなに生で食べたけりゃ、トマトとキュウリだけかじってろ!と意味なく腹を立ててしまう私。
どこかが微妙にまちがってる、と「自然派」を読むたびに感じてしまう。この「アレルギー」は自然療法で治るのかしら、なんてね。
科学を信じるのは未来を信じることでもあるのよね、、
でも科学の妄信も自然の無茶な賛否とあまり変わらないんでほどほどに、と言うことで。
そうえば、少し前にネットで騒ぎになっていた話をちらりと読んで、一般人は「理系」の人間すべてを「科学者」と勘違いしているところがあるよなあ、
とおもった。「理系」の人間でもアホはアホですわ、「自分は理系」と考えるだけで「オレ、天才」と考えているバカは多いのよね。
それをひとつ頭に入れておけば、わかりやすいことも多いと思うわ。
と、言うことで、オシマイ。今週はお出かけが多い。