読書メモ。(その1)

消えてしまった感想を復元するのはむずかしい、と言って惜しむほどのことを書いたわけでもないが。
私はヒトラーの秘書だった」を読んでみようと思ったのは
映画「ヒトラー 最後の12日間」の中でゲッベルズ夫人が子どもたちを殺すに至って、最後の最後にヒトラーに「死なないでください!」と
追いすがる場面が、本当にあったかどうか確認したかったからで、そこはこの本では何も書かれていなかった。
ただ、ゲッベルズの子どもたちでもっとも年長だった女の子が、何かを知っている目をしていたように思ったと、
映画では年長の女の子が確実な死のために睡眠薬(麻酔薬?)を「予防接種」と偽られて施されるのに抵抗した場面があったので
その印象が参考になったのかな?などと、ゲッベルズ夫妻がヒトラーとともに自決したのぐらいは知っていたが、
その子どもたちまで犠牲になったなんて映画で初めて知った。(ような気がする、何かで読んでいたかもしれないんだが)
何しろ、私の乏しい「ヒトラー」「ナチス」知識は水木しげる先生の「ヒトラー」と、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」からでしかないからなあ。
ゲッベルズ夫人に驚かされたのは「総統のいない、理想のない国に子どもを残してはいけない」という発想で、
これだけの数の子どもを、ここまで育てておいて、それを全員殺すことなんてできるものか?そんな「もったいない」ことを、と
私には最後になんとかヒトラーを生き延びさせようと追いすがるゲッベルズ夫人に、ようやく憐れみの念を覚えた。
だれだって、自分の子どもに手をかけたいわけないものね、
そこまで自分を追いつめた「理想の国家」っていったい何だろう?
私は「理想の子育て」なんて言葉はとっくの昔に忘れてしまっている(つか、そういうものを持っていたかどうかもあやしい)人間なので、
「理想の国家で育つ理想的な子どもたち」が想像できない、ま、そんなんだから子供を産めるのかもしれないが。
最近よく耳にするのが「理想的な環境じゃないから、子どもなんて産めない」の言葉で、これには考えさせられる。
人間が理想的な環境で生まれ育ってきた時代なんて一度としてないんですわ、
それでも人の世界が続くのは、なぜなのか、ちょっと考えてもらいたいものですなあ、、、と、よけいなお世話なんだけど。
ヒトラーの秘書」では、同じようなセリフをゲッベルズ夫人が言ったらしいのを確認して、そして後に控えた現実に耐えられず、
子どもの相手ができなくなっていく夫人の代わりを秘書であった著者のユンゲがつとめていた話もあって、映画はそこはちゃんと再現していた。
著者のトラウデル・ユンゲは20代前半の3年をヒトラーとともに過ごしている。
この本で驚かされるのは彼女がこの本のもとになった手記を、まだ戦争が終わってたった2年しかたっていない1947年から1948年にかけて
書いたことで、まだ心の傷が生々しい20代の若い女性であったにもかかわらず、自己弁護や憐憫に駆られることなく
自分の見たこと、感じたことを冷静に記していて、その能力の高さには舌を巻く。
なるほど、ナチスの組織というのは、たぶんこうした無名の有能な人間が無数にいたことで続けられたのだろう、などと、
トップがアホでもキ○ガイでも、下が何とかすれば何とかなっていく、ッてのは現代でもありよね、と
コロコロ首相を変えたがるどこかの政治集団にいってやりたいもんだわ、ま、ナチス的になられても困るんだけど。
長くなりそうなんで、今日はここまで。私の読書メモは常に脱線する。(涙)