ほんのかんそう。

一部では(?)大絶賛らしい「ファン・ホーム ある家族の悲喜劇」を読んでみた。
バンドデシネであれ、アメコミであれ、すすめられるものは傑作が多いんだけど、これは、ハテ、どこがいいのか私にはさっぱり。
身も蓋もない内容の紹介をしたら、「隠れゲイの父親を持ったわたしはレズビアンです」ってなはなしなんだけど。
これのどこに感動したらいいのやら。そうとう読者を絞るだろうなあ、、、
フロイト先生大好きなお人にはたまらない「父の娘」の典型なんだろうが、それを本人もねらっているようなのがなんとも私にはうさんくさく見える。
英米文学をかじった人間なら必ず通らざるをえない、「マルセル・プルースト」だとか「ジェームス・ジョイス」だとか、あと「オスカー・ワイルド」、
その作者たちの共通点がわかりやすすぎてちょっとねえ。
ほかに、フィッツジェラルド、ヘミングウエイも、ある意味、「そっち系」といえる人だしなあ、、
なんだかな、演出が少々あざとすぎないか?って印象。
あちらこちらに丹念に練り込まれている「文学」が衒学趣味にはたまらないってところなのかな?
私は、憎しみは愛情の裏返しではなく、むしろ異常なまでの自己愛と執着心でしかない、と考えているので
つか、愛情が他人を支配したり束縛したりするものならば、それはもう「愛」とは言わないのですよ、
別の感情、「狂気」を認めるに耐えられず、「愛」にすり替える、その弱さでしかないと思うが、
もの書く人間は、結局その「弱さ」が創作の原動力になっているからなあ、、、
「こうあってほしかった父親像」に執着する自分をどこまで受け入れることが出来るか、そういうことはあまり触れているように思わなかった。
それも「愛」のひとつの形、と主張する人にはたまらないかもしれないな。
雑な感想で悪いんだけど、私的には、漫画のプロフェッショナルが集まっていると思われる手塚賞
竹光侍」「JIN」が同じ位置にとらえられた雑さに比べれば、たいしたことじゃない。
この漫画に対する冒涜ぶりにはあきれた。
もともと賞関係に興味はないが、あの大傑作「竹光侍」とありふれた漫画を同格であるかのごとく扱うとはね。
竹光侍」は漫画世界が到達したある極地じゃないのかな。
手塚先生は若手の才能に異常に嫉妬した(と、うちのオタクダーリンは言っていたが)、死してなお、こうやって後世の天才を貶めるのかしらね。
海外漫画を薦めるなら私は「アランの戦争 アラン・イングラムコープの回想録」かな、
ペルセポリス」でも「マウス」でも、アラ、私のお薦め海外漫画は戦争関係が多い。
典型的男性志向か、なんちゃって。
休み中、ダーリンに萩尾望都展につき合わされて、少々不機嫌だったざんす。
その八つ当たりか?ああ、哀しき小人よ!とにかく小人向けの作品ではなかったざんす、おしまい。