雑談。

長らくまとまった文章を書かないでいると、もともとヘタな文章が読むに耐えなくなるな。
ちょっとは頭を使えよ、って、今は頭より筋肉のほうを使ってる、たぶんこの3年くらいはそうなるだろうなあ。
季節の変わり目で気温が不安定なせいか、両親の状態がまた悪くなりつつある。
たぶん、嵐が来る、それが本格的にくるまで出来るだけ毎日書く習慣を取り戻すようにしよう。
「ファン・ホーム」の感想を書いたあとで、私はこういった一定の知識がなければその世界に深く潜り込めない作品が好きではないんだな、と気がついた。
物語として、文学の知識がなくても読めるのだけれど、描かれている小説本がどういった内容であるか、その作者がどういう人物であったか、ほとんど知らなかったとしたら、
そのほのめかすものが受け取りづらいのではないか、こうも細かく編み込まれた「文学」ってなものに私はどこかで反発を覚える。
ま、自分がインテリじゃないってことだろうね、
でも、結局、インテリってなんなんだろうな、自分の持つ知識や学歴を楯に他人をあざける人のことに思えるな、
知識はあっても知性はない、それでも立派な学歴があればそれが万能の楯となる、さまざまな「専門家」を見たり読んだりするたび感じるなあ、、
それはともかく、私の好きなバンドデシネやアメコミは、戦争という異常な状況下でごく「フツー」の人間がどのように生活したか、が書かれているものばかりなのにも気がついた。
「マウス」しかり、「ペルセポリス」しかり、生涯で読んだ本のベスト10にはいると絶賛する「アランの戦争」しかり、
フツーの人間のフツーの生活、神にも等しい英雄や大インテリさまがどのように戦時中生きたか、なんてことはそれほど一般庶民の生きる参考にはならないからなあ、、、
ってことは、私は本の中で「自分探し」をやってる、ってことかしら、なんちゃって、いやはや自己「分析」、度し難し!
でも異常な状況下にいつ放り込まれることになるか、だれにもわからないものだものな、今回の震災みたいに。
連日、すべてのチャンネルが「ぽぽぽぽーん!」になってしまって、日本全体が異常だったわ、
いつテレビをつけても「ぽぽぽぽーん!」だもの、精神の安定を失う人が多くてもしかたがないだろうな。
今思えば、あの「ぽぽぽぽーん!」の代わりに「原発は安全です」の震災前に山ほどあったCMを流せばよかったのにね。
あれ、見かけなくなったね、不思議でしょうがないわ、安全なんでしょ?違うの?
「安全」って「専門家」が言ってたんだよねえ、、、
ま、異常な状況下だから、専門家だっていろいろあるんだろうね。(と、おとなの対応)
なんにしても、原発関連のCMが流れなくなったのが私的には非常に不思議。
子どもの数が確実に減っているのに、なんでそんなに電気量を増やさないといけないのかも不思議。
書けば書くほど、いろいろ見えてくるような、わからなくなるような、不思議。