つづき?

アラ、もう5月じゃん、速いわね。
連休中は、久々に上の娘の顔を眺め、なんとか学生生活も軌道に乗り始め、頑張っている姿を確認できて感涙。
「一人暮らしをはじめて、ママがどれだけいろいろしてくれたかよくわかった、今まで本当にありがとう」といわれて、
これだけでも家から出した意味があるというものよ、こちらこそ、私を母親にしてくれてありがとう、と心から。
で、「熱源」から続く話。
「食材」の調達が首都圏では、場所によっては困難になる感触を持った。田舎と違って土地がないから「スーパー」が近くにないんだよな。
一番近い食品売り場が「コンビニ」だったりして、たとえば「鶏肉」が食べたいとしても、生の鶏肉にたどりつくまでに山ほどの「唐揚げ」に出会うわけで、
都心じゃもう「料理」は趣味の領域になってくるんじゃないか、なんて、下宿探しで一日20件前後物件を見たわたしは思ったな。
「ご近所にスーパーがあるところ」なんて言うと、鼻でせせら笑われてしまったよ、すみませんねえ、イナカモノで。
「自炊」を困難にさせるのは環境なんだな、食材を手に入れるよりも、コンビニで弁当を買うか、定食屋ですませるか、
その方が時間の節約にもなったりして、幸いなことに娘の下宿先の近くにスーパーらしきものがあるんで助かっているけど
いろいろ見た物件では、近くになかったわぁー、、私の大好きな一般庶民の行く「スーパー」、
すみません、私はきっと「イオン」があるところにしか住めません、「デパ地下」よりも「ただのスーパー」、
つか、私、このたび初めて知りましたわ、都心に住む人にとって、「デパ地下」って「スーパー」がわりなのね、
田舎に住んでると、「だれが買うんじゃ、あんなバカ高い野菜や生肉」とつい思ってしまうけれど、デパートの借地料、素材の輸送量を考えたら、高くもなるわ。
だから「高級スーパー」なるものが存在するわけね、土地代を考えたら、単価が少しでも高くて利益が見込めるものを仕入れるわよね、
ああ、都会に住むってたいへん、と、田舎のネズミは考えたのでした。
紀伊國屋」だの「明治屋」だの「成城石井」だの、私にとっては食のレジャーランドでしかなかったけど、都会ならではの苦肉の産物、なんて。
同じデパ地下でも、関西エリアでは、ちょっとおもむきが違う気がする。
慣れもあるんだろけど、私にとっては関西のほうが「住みやすい」と感じたな。関西エリアのほうが人が「住む」のには適しているんじゃないかな。
東京は、とくに都心部は完全に「仕事をする場所」でしかない気がする、
「人」がいて、「生活」があって、「仕事」が必要、とできあがってきた街と成り立ちが違うんだよなあ、、
仕事のために人がいて、そのひとを働かせるために食料も必要、って感じで、街ができあがってる、
とか、なんとか、ごく一部のエリアを見て回っただけで決め付けたりする私は根っからの田舎ネズミ。
でも「生活」のために「働く」、がいちばん正しいことじゃないのかな、「働く」ために「生活」するのではなく。
「食べる」って大事よね、ということを相変わらず娘に言い聞かせてうるさがられる私なのでありました。