師走。

水木先生はもう死なない人だと思っていたわ、、(涙)
昨日、テレビで水木先生の奥様がとても悲しそうだったので、水木先生はご家族に、特に妻に本当に愛されていたんだなあ、と。
長い長い夫婦生活を送って、まだなお、その死を心から悲しめるのは幸福だ、私は長く愛されるよりも、愛する人間でありたいと思う。
ゲゲゲの奥様は立派な方だ。
ゲゲゲの鬼太郎」は不思議なことに息子と父が常に一緒にいる、母親ではなく。
そのことを昨夜ダーリンに言うと「第1話でお母さんがチラッと出てくるのを忘れたか?」、そーいや、あったっけ、そんなエピソード。
でもずっといるのは父親なんだなあ、水木先生には娘さんが二人いて、息子さんはいないけれど、
父親として、ずっと子供のそばにいたい気持ちを持ち続けていたのかな?娘だと嫌がられるから、漫画の中で息子にした、だったりして。
ダーリンを見ていると、父親もまた、子供への愛は深いわ、ただし示し方が男性の場合、いろいろと難しい。特に娘だと。
私に息子がいたら、どうだったんだろう?やはり難しかった気がするな。息子のいる知り合いにそれを話すと、
「よくわからないけど、やってるときは必死だし、手がかかるぶん、女の子よりかわいいかも」といっていた。
「でも大きくなったらほかの女にとられるのよ、、」とは、やはり特にかわいいようだ。男の子を育ててみたかったわ。
なんだかんだで今年ももう師走、今年は1ヶ月ほど廃人生活を送ってしまったので、しなければいけなかったことをだんだん思い出してやっている。
老化現象でしなければいけなかったことを忘れるのよね、、最近は「メモ」生活、体力が落ちたせいか、大分記憶量も減っていた。
最近、やや戻りつつあるので、大分やられていたのだなあ、年をとってからの病気は全般に不都合が生じる、これが少しづつ死ぬということか。
ずいぶん前になくなった伯父が「老いは私に獰猛に飛びかかってきた」と言ったようで、それを聞いたとき私はまだ若かったので「そうか」と納得したが
今は、「伯父さんはずいぶん体力に自信のある人だったんだな」と考えが変わった。
私の場合、たぶん「死」は行ったり来たりするもののようだ、時々、それは恵みのように思える。そういう状態に慣れているので諦めが早くつくかもしれないな。
とか言いながら、今以上に本当の「老い」がやってきたとき、私は自分の考えがまだ甘かった、と思うんだろうか?
と言うわけで、「お仕事」にボツボツ戻るざんす。人生の残務処理は、まだ山ほどに。