近況。

ダーリンがiPadを買って以来、我が家の無線ランでは「遅い」!とのことでネットの設定を大幅に変えることになった。
工事が必要なようで、とほほほほ、私が使っているパソコンはほとんど動かなくなっているというのに。
以前の愛機、シェル型タンジェリンiBookがお亡くなりになって以来、使っている今のパソコンは、5年ほど前のもの、
動かなくなるはずだわ。
現在、絶賛受験生中のふたりの子どもたちと、要介護の実家父を抱え、ネットなんてやってる場合じゃない、が私の心の叫びだが、
ダーリン曰く、
「ネットをしないとバカになりますよ」「少なくとも、週2回は書きなさい」
無理、無理、無理、
ネットやってると、1時間はあっという間にたってしまうもの、私の場合。
書くのは苦にならないものの、読むのについ時間をとられてしまうんだよなあ、、
それをやめれば、出来るかもしれないが、それでは書く意味がない、読む楽しみのために、書いているんだもの。
パソコンの調子は悪いし、受験生の尻を叩かねばならない「天王山」の夏を迎えて7月半ばから、秋まで日記は休止予定。
その後、子どもふたりに「桜咲く」ころまで、多分長々お休みになる。人生の転機、ッてことで。
さて、読んだ本の記録。
山本直樹「レッド」の4巻が出た。ようやくはじまった「殺戮」、
山本直樹独特の、あっさりした絵柄がさえざえと、不気味だ。
ここで描かれた当時の「若者」に共感を覚えられるか、と言えば、それは出来ない。
私は「思想」に共感することはあっても、その「運動」にはうんざりすることが多い。
多分、私の幼児期にあったこの「全共闘」の数々の事件がどこかですり込まれていて
「運動」というものには懐疑的になっているんだろう。
つか、フェミニズムにしろ、ジェンダーフリーにしろ、その「思想」自体には賛成しているが、
その「活動」というか「運動」を「広める」人たちが、現実世界では相当「痛い」というか、
私の目から見れば、自分が本当に向き合わねばならないものから「逃げる」ために、
その「活動」に身を投じているとしか思えない人にしか、出会うことがないのだ。
子どもたちの学校で「ジェンダーフリー」教育に一番熱心だったのは、
「こんな学校に子どもは預けられない!」と公言してはばからない人だった。
当然、学校に子供は来ていない、でも、毎日、子どものかわりに彼女は学校にやってくる、
集会の折には、誰かのちょっとした言葉を「それはジェンダー的におかしい!」とただす、
中学の説明会で「制服は、女子でも学生服は着られますか?」の質問をしたり、
やってることは間違っていないんだろうが、集会なんて、早く帰りたい人たちばかりだ、
「あんたの子ども、そもそも、学校に通わないでしょ!」とひそひそつぶやかれていたりして、
決して、悪い人ではないことはわかるんだが、どうかすると、すぐ暴走を初めて、
これではむしろ「アンチ」を増やすばかりだ、としみじみ思った。
結局、「どんな」人がそれを支持しているかで、運動の内容は判断される、
納得できないことをしている人が、いかに「正しい」言葉を述べようが、説得力はない。
説得するつもりがないのならば、それでもいいが、それでは「思想」は伝わらない、
果たして、なんのための「思想」なのか。
「レッド」の内容からかなり外れてしまったな、
今の私は、結婚して、自分の選んだ配偶者からそれを望まれても「子供なんて産みたくなぁーい!」の人が
何故、フェミニズムに傾倒するか、それが不思議でならないので、
「思想」は何故、奇妙な「活動」に傾くか、そういうことをつい考えてしまう。
自分のすべきことをしなかった「いいわけ」に「思想」は用いられるものなんだろうか?
ま、「レッド」の感想は、完結してから書いておくか。(で、すぐ忘れる。)
「レッド」第3巻の紙屋高雪さんの後書きには、共感をおぼえた。その考え方は理解できる。
ある世代には「ぬるい」といわれても。
来週は、いよいよ参院選、先日、実家父の見舞いに帰ってきた都内に住む兄弟曰く、
「渋々、民主党」「これ以上、政治にごたついて欲しくない」
なるほど。
そういえば、今年の中学総体は妙な時期にずれて、「選挙」がいつになるか、かなりごたついたらしい。
会場の都合があるものね、、、
安定しない経済の中、せめて政権くらい安定して欲しいような。
来週の今頃はどうなっていることやら。
ところで、今回、初めて「下書き機能」を使ってみた、あんまりうまくいかないなあ、、、