日常。

いつの間に、日本の首相は「日替わり定食」になったのやら。
中3娘が、「こんなにころころ変わられたら、私の子どもが社会科の時間に覚えるのが大変になっちゃう」
と、先の長い話をしてくれたりして、
それを聞いた高3娘が「この人たち、特になにもしていないから、覚える必要ないんじゃない?」
ああ、歴代総理、哀れ、女子中高生に一言で片付けられる。
最近、実家両親の通院につきあっていると、ネットどころかテレビさえ見ることが少なくなって、
瑛太カエラちゃんの結婚すら、「ママ、知ってる?」と学校帰りの高3娘に教わる始末。
「あんた、なんでそんなこと知ってんの」と聞くと「友達が携帯のヤフーニュースで見たって。カエラファンの男の子が泣いてた」
カエラちゃん、男の子に人気あるんだなあ、「女の子受け」の子かと思っていたが、と言うと
「男子ファンも多いよ、それにその子、「オトメン」だし。カラオケ行ったら、カエラを歌いたがる」
「「バタフライ」?」
「違うけど」
瑛太カエラちゃんと一緒に産婦人科にも行った、の情報を仕入れて
「結婚してなくても、ちゃんと産婦人科までついてきてくれる、そんな人がいいなあ」って、娘は壮大な野望(?)を持ったりして。
わが子たちは「できちゃった結婚」にまったく屈託がない。
ここは、やはり「母親」の「お約束」、「そんなふしだらなっ!」とでも言っておくべきか、とチラッと考えたりするものの、
いまどき、「できちゃった婚」にかりかりする親なんて見たことがない。
私も結構なこっちゃないの、としか思わないしな。「できちゃった婚」は健康的で誠によろしい、って感じ。
篤姫」で瑛太を気に入った実家母までもが
瑛太はええコを選んだ、仕事しててもちゃんと子供も産んでくれる」と、その発想は、親子3代にわたるか、恐るべし。
思えば、私もカエラちゃんと同じ年に妊婦だったわ、カエラちゃんと同じく、ドキドキ、わくわくした。
それからずっと、人生、ドキドキ、わくわく、はらはら、し続けている。人間が人間を生み出すことは面白い。
今は「生み出された」側として、親とつきあう時間が少し増えて、世界がまた違って見えてきたりする。
高齢者の買い物難民の話が時々ニュースで流れていて、これは地方では痛感する、
まだ実家はマシな方だが、自転車さえ乗れなくなった年寄りが買い物する場所が、本当にない。
幸いにして、週末、「市」がご近所に立つので、それを母はとても楽しみにしている。
年寄りにとって「買い物」が重労働であるのと同時に、「気晴らし」にもなることがわかってきて、
「買い物欲」は生きるために必要なものであるのだなあ、と。
実家は、こどものひとりである私がそばに住んでいるので、「助かる」と、言われて、
それでも「介護保険」があるから、うちみたいに子どもがそばにいなくても、人を頼むことも出来るよね、みたいなことを親に言うと、
「いくら「介護保険」があっても、私ぐらいの年の人間は、自分の「子ども」に見てもらいたいものよ」と、世代で感覚って違うんだろうなあ、、、
うちの親は「子どもに面倒を見て欲しい」と願う最後の世代なんだろう、それはそれでよいことでもあり、もの悲しくもある。
今の私は世代の「中間管理職」みたいな感覚で生きている。
子供を持つことが、いつから結婚の「オプション」になったのか、時々考える。ヒマになったら書き留めておこう。
ふと、「欲望」とは人間が生きるために必要な本能で、それを「暴力的」と考えるのは、選民意識にも通じる傲慢ではないか、
以前、「性欲」を暴力的ととらえるのは何故だろう、と思ったんだが、
自分で選んだ配偶者との間でさえ子供を持つのをおそれる人間は、生殖に必要な性欲が「暴力」に感じられるんだろう、と、
知り合いから聞いた離婚話で感じた。
あの離婚話はどうなることやら。激怒しているときは色々話してくれるけれど、今は落ち着いただろうから、後日談は相当、後になりそうだ。
福井健策氏の「著作権とは何か 文化と創造のゆくえ」を読んで、やっぱり、これを先に読んだ方がよかった、と
「権利」の定義からわかりやすく書かれていて、とてもいい。お勧めの「よい新書」の1冊に加えよう。
追記;
1年以上前に関わりを断った人が未だに私に「粘着」しているのに、驚き。
時間をかけて、色々調べてみたところ、
わざわざ、「ライブドア」で更新確認までしているようで、いやはや。
これは、相手のブログもかかさず読んであげなければなあ、
星は「お詫び」のつもりってことで。
ネットを立ち上げたときは、いつでも読むことにさせてもらおう。
気がつかなくって、ごめんね。