夜の雑談。(一杯、はいってます)

とあるところで、
フロイトはすべての性関係はSMだと言っていますが私もそう思います。性欲は暴力的な衝動や支配欲と直結していると私は認識しています。」
との説を読んで、はあ、なるほど、と独り合点してしまった。
ある種の人にとって「愛」は「支配」なんだろうなあ、と時々思うことがあって、特にこれを書かれた方にはそういう傾向が強いなあ、と
随分以前の話だが、これを書かれた方は昔、好きだった人(彼女持ち)に「肉弾攻撃」をかけたことがあると書かれていて
私としては、いやはや、二十歳を過ぎてそれをするとはよほどご自分の肉体に自信があったか、と結構感心したりして、
つか、女子社会では「肉弾攻撃」=「彼女がいてもいいの、好きだから私を抱いて」ってのをやってもいいのは「二十歳まで」のお約束があって、
二十歳過ぎてそれをやる奴は相当自分を勘違いしている痛い奴、としか見なされないんだよね。
「俺はおまえなんかの肉体で買えるほど安いのか」と、相手に思われるとは「かけら」ほども思っていないその無邪気さが痛いんだな。
「男はみんな私の体にメロメロ」を信じているのは、ある意味「天然記念物」、男にも「選ぶ権利」はあるんだよね。
「好きだから抱いて」は「私を抱いてくれるだけでいいの、私を好きになってくれなくてもいいの、、、」では決してなく
「私を抱いたじゃないの、もうあなたは私の肉体に支配されているはず」の暴走する思いこみへと発展し、
相手にその思いこみを否定されたとき「なんで?」と破綻する、まあ、そのあげくに「フェミ」に走るのも一興ではあるけれど。
自分の「肉体」という「えさ」で相手を「支配できる」と思いこむ、
つまり「セックス」が「暴力的衝動」や「支配欲」と直結しているとは、この方に限り、真実なんだろう。
40数年生きてきたら、この手の女性には何度か出くわすわけで、
私がこの手のことをする女性が苦手なのは、そのセックスにどこか「懲罰」じみたところがあるからで
なんというのかな、好きな相手が大切にしている人を自分の肉体で汚そうとする、
「別の女を愛してるのなんのと言って、結局、私ともやってることは同じじゃない」と、
セックスが、ほとんど自分が「ふられた」ことへの腹いせでしかないんだよな。
「こんなにすばらしい私があなたを愛してやってるのに、あなたは別の女がいいという、そんなの間違ってる、私の「体」で教えてやる!」ってな、
うひゃー、そこまで、相手を「支配」したいもんか、確かにその手の方の性欲は「暴力的」と言ってもいいわ、
相手を「愛する」と言いながら、その「愛」は「支配」でしかない、
相手を愛するが故に愛を告白することもなく黙って去る、とか、そういう発想はないんだよね、
愛する人に、大好きな彼女といつまでもお幸せに、とは思えないものなのかな。「私があなたを好きなんだから抱いて!」ではなくて。
なんだかなあ、そこまでして他人を手に入れたい欲望ってどこからわいて出てくるもんなんだろう、
私にそういうものって、あったかな、、、うーん、なかったな、私にはそこまでの「情熱」はなかった、
たいていの人間はそうだろうと思うんだけど。
「男はみんな若い私の肉体にメロメロになるはず」ってのは、若い女の子が抱きがちな幻想で、
これは未経験な男の子が「女はみんな、俺のセックステクニックに夢中になるはず」とよく似てるんだよね。
これが馬鹿げた思いこみに過ぎないと、大体「二十歳」ぐらいで卒業していないといけないはずなんだけど、
それが何らかの理由で出来なかった人が少数であっても存在するようだ。ネットにはこの手の人が多いのかもしれないな。
私は若い頃、笑ってセックスできる人がいいな、とずっと考えていて、実際そういう相手を探して結婚して子供もいるんだけれど、
もし性欲が常に「暴力」や「支配欲」に直結しているとしたら、私の求めた「笑い」ってなんだろう、
自分の中にある「暴力」や「支配」をごまかすための「装置」かな?
いやいや、フロイトさんには悪いけど、私に関する限り、自分の性欲にまとわりつかせている「笑い」は多分「緊張の緩和」だ。
「相手が嫌がっていないかな?」の緊張感を「笑い」でほんの少し、和らげる、まあ「ごまかし」とも言えるか。
ネットには驚かされることが本当に多いなあ。
「性欲」って、ある種の人にとっては、ものすごく「悪い」ものなのかもしれないなあ。