雑談。

「私は真吾」って「慎吾」じゃなく「真吾」なのね、今更気がついたわ、で、西村議員の名前はどっちだっけ。
どこを見てもそちら関連は花ざかりで、選挙が近いんだなあ、の感想しかなかったりして。
で、意外に暇なので、ネットでだらだら、3年前は今ぐらいから妙に忙しかった気がしたが、
よく考えてみたら実家父のことがあったんだわ、今もあるんだけど、もう慣れた。慣れってすごいわぁ、情けなくなるくらい。
そういえば、ちょっと前まで、子供の「武勇伝」をよく聞いたが今は老親の「武勇伝」を聞く機会が増えた。私も立派に年をとったわ、、(涙)
そんな年寄りの私が慰安婦と聞いて思い出すのが何かと武勇伝の多い水木先生の従軍記漫画で、そこでは従軍慰安婦のこともなにげに書かれていて、
水木先生はそこに「並ぶ」時間がもったいないので現地の人と遊んで、それが水木先生の救いにもつながっていく、
水木先生は多くの慰安婦の方々が従軍者たちと同じように戦争で命を失ってしまったことを、戦死した従軍仲間を悼むのと同じように、
また、それ以上に悼んで書かれていたのをよく覚えている。同じ戦争の犠牲者として当時を知っている人が書き留めていることが印象に強い。
非常に複雑で悲しい存在だった女性たちのことを同じ人間として静かに見つめていた人もいたのを忘れるべきではないだろう。
もしも「性欲には必ず支配欲が存在する」というのなら「戦争に強姦はつきもの」を受け入れなければならなくなるが、
私はどんな立場に置かれても、性欲を支配欲に変えてしまう人が多く存在するとは思わない。
そういうことが嫌でたまらないひとも、男性の中では少なくないだろう。
性欲を肯定的に捉えることは生命を肯定することだと私は思うので、
異常なまでに支配欲が強い人が性欲まで「支配」の手段に変えてしまうことがあるのだと信じる。
実際、「性」で他人をコントロールしようとする人間は女性でもいる、「させてあげる」「させてあげない」で相手を好きなように操ろうとする、
操られる側も阿呆だが、それをしようとする女性も人間としてどうかと思うというか、なんというか。
とにかく他人に自分の力なるものをふるいたがる人間は男女にかかわらず存在するので、
そう言う人が「性」もその手段として使うことを一般化して「誰でもがそうだ!」と主張するのはいかがなものか。
「性欲には支配欲が必ず含まれる!」なんて主張された日には、まったりダーリンとセックスもできなくなるわ、
少なくとも、私は「萎える」、それではセックスにコスプレ要素が入りすぎるから。
戦争でもなんでも、「問答無用!」の力を振るうものを否定したいものよ。おかしな主張には徹底抗戦、予定。
今の若い子に、これ以上、性欲が悪いものであるかのように説いてどうするよ?
昔よりはるかに繊細で聡明な彼らに衝動への肯定を教えてやりたい。少子化を食い止めるのには、そこから始めなければ。
阿呆な大人が増えた世界はやりにくいねえ、全く。