雑談。

西村議員の名前を見るたび「私は慎吾」という読んだことのない漫画のタイトルが浮かんで困る。
一連の騒ぎや、「男の性欲」云々の話をネットで読んでいると、
「こいつはやってもいいやつ」「やってはいけない「人間」」という単純化された意識が見られて、なるほどなあ、と、
「やっていいやつ、やっちゃいかんやつ」の意識を持つ人はネットに多いよね、
私は常に「やっちまっていいやつ」に分類されているのでよくわかる。
「やられても当然のやつ」って、自分では認めていなくても、なんとなく周囲がそれを決めてしまうというか、
それに反抗したら「なんだ、こいつ、人間づらしやがって」的な大変面白い反応が返ってくるのをネットで何度見てきたことか。
単純さを性欲にも持ち込む人間ってそれを批判する人にも多くて、見ていてうんざりする。
性欲と支配欲を絡めたがる人間は実は、絶対的支配を「されたい」人のような、宗教的法悦をどこかで求めているような、
私は罰当たりな人間で、常に「お前なんか」とネットでやられっぱなしになっているんで、「神様はいない」と、
私は宗教的法悦が生涯わからない人間なんだろう。それを求めることはこの先も多分ないわ。
支配したくなければ、されたくもない人間なんで、神様とは無縁で生きていくんだろう。
なんにしても、性欲と支配欲をごっちゃにするのはやめて欲しいなあ。
性欲が何故あるのかといえば、基本は種の存続のためなんで、
そこに支配欲が関わるのは社会性にどこか問題のある人間の異常としか思えないなあ。
そういう異常者であっても「やっちまってもいいやつ」と私が分類しないのは、
いつも「やっちまっていいやつ」に分類されてしまう私の「プライド」かも。
異常者であっても「やっちまっていい」わけではないですよ、そういうのをちょっと考える。
「私は慎吾」ちゃんはお元気そうでなにより。