女子フィギュア、ライブでみたよん。

長洲未来ちゃんが気に入った。
ショートの時も「緊張感?プレッシャー?それって食べられるものぉー?あははー!」な元気良さが光っていて
さすがにフリーのトリでは、あれだけそうそうたるメンバーが滑ったあとに多少はへこむかな、と思ったけど、
「なんかよくわかんないけど、楽しー!」みたいにちょいちょいと滑って、いやー、面白かったわー。
「国家を背負う」のどうのと、老害がぶつぶつ言ってる国で育たなくてよかったね、未来ちゃん、4年後が楽しみ。
で、浅田真央ちゃんとキムヨナ選手。
キム選手の得点が高すぎる、の話がネットでも話題になっていて、
「高い」というのは確かなんだけど、私が思ったのは、採点基準は「年相応」の表現力を重視してるんじゃないか、ってなこと。
キム選手の表現方法はものすごく「二十歳の女の子!らしさ」が「いかにも」的に光ってた気がしたな。
真央ちゃんの場合、テーマが重すぎたって感じ、「ちょっと、背伸びしてるかな?」みたいな、
もちろん、その「背伸び」もある意味、二十歳の女の子らしさではあるんだけど、「そういうものは私たちは認めません!」な
「大人」の判断基準があるような、結構日本の老害な価値観が幅をきかせているんじゃないのかな、フィギュア採点基準は。
私はショートのときは真央ちゃんの方がうまい!と思った。
滑る喜びにみあふれていて全身で楽しさを表現していて、実際楽しかったんだろうと思う、「うまくいったー!」と、
で、あの歓声のあとでも完璧に滑ったキム選手はやはり「すごい!」と、技術云々より、その「精神力」が。
フリーの時は順番が逆で、真央ちゃんの場合、キム選手の大歓声のあとで多少へこんでしまった、
と言うか、それが「当たり前」なんだよね、そうならない方が不思議なくらいで、
「へこむ」感性が私は情緒豊かな表現につながると思うんだけど、
結局、求められているのは「らしさ」と、「らしさ」の中に自分の個性を押し込む「精神力」なのかもしれないな、
そう考えると、長洲未来ちゃんが安藤美姫ちゃんより評価が「上」になったのがわかる。
情緒的な表現においては私は安藤美姫ちゃんの方が上に感じたものの、
「周りに全然影響されませーん!」度で言えば、未来ちゃんの方がミキティちゃんよりはるか上、それを評価するなら、こんなものか、と。
私としてはキム選手は「もういいや」で、上手で素晴らしいけど、滑るのを「もっとみたい!」と思わせるのは真央ちゃんの方、
真央ちゃんは、自分が「したい」と思ったやり方で一生懸命滑って、
その愛らしい表情のウラにはしっかり「自分」があって、それを押さえることをやんわりと拒否したその意思力がすごい、と。
きっと、真央ちゃんサイドでも、採点者たちが求めるものは知ってたと思うわ、
でもあえて、3回転半に挑戦し、「かわいい二十歳の女の子らしさ(ちょいとお色気もあり)」ではなく、
挑発的なテーマを選んだ、それって、すごいことなんじゃないのかな。
表現力を言うのなら、私は男子よりも女子の方がうまいと思ったけど、得点は男子の方が多いんだな。
採点は「表現力」なのか「技術」なのか、確かに曖昧、
オリンピックでもなければほとんどフィギュアなんて見ないおばはんがちょっと考えてそう思うんだから、
よく知ってる人はより納得できないんだろうな。
なんにしても楽しいオリンピックだった。4年後が楽しみ。
とか言いながら、4年後は下の子の大学2次試験シーズン、どこで何をしているやら、とほほほほ、、、
そういえば、昨日、行事の都合で早めに学校が終わった娘が、お友達宅でそこのお母さん共々、フィギュアのライブをみて、
「○○ちゃんの家では、お母さんも一緒に、日本人の選手以外には「転べー!」とか言っててびっくりした」
「うちはみんなに「がんばれー!」というのにね」と、うちの方が「マナーがいい」とほめてもらった。
いや、母も実はキム選手、転ばないかな、と思ったんだけど。
仲良しお友達家の思いがけぬ「ブラック」な面を見て「ひいた」と、ナショナリズムの発露は周囲から「痛い」と見られるモンだな。
気をつけよう。
追記;(「技」と「技術」を「表現力」と「技術」に訂正)