雑談。

二日前、「エトロのショール」なんて書いたが、おしゃれさんは「ストール」というのだと思い出した。駄目ねえ、おしゃれが「付け焼き刃」で。
聞いた話では、最近は「80年代テイスト」なるものが流行り始めているそうだ、
こういう「リバイバル」って、昔、その流行りにやつした身としては複雑だと思うわ、
その流行に安易に乗ってしまうと単に「痛いおばはん」にしか見えないし。そこら辺が「年をとる」の難しさなんだなあ。
安易に乗るつもりはなくても、流行ってくるとどことなくそれっぽいものが全てのブランドに行き渡るので、それをうまくこなすのが大変、
と、私は「思う」が、別におしゃれさんでないので、そうでもないのかも。本当のところはわからん。
「ビューティ・ジャンキー」を読んでいて、しみじみ思うのは「うまく年をとる」ことの難しさで、いつまでも「若さ」にしがみつくのは
「美の基準」に「枯れる」がアメリカにはないからかもなどと、50歳が来ても「娘と変わらず若い」に私は価値を見いだせない。
「年相応」の美しさってものが「ある」と思うんだよな、むしろ、異性の目をそれほど気にしなくてもよくなるだけ、服を着るのを楽しめるような、
と言っても「何を着てもいい」というものでも無し、何が「セーフ」で、何が「アウト」か、そういう「基準」が自分の中にないといけないかな。
夏に娘と東京の大学のオープンキャンパスに参加して、母親がついて行くのはちょっとあれかな、と思いつつ、
大きな大学なので地方から来ている人も多くて、両親ともに来ている人や母子二人連れも多かったのでほっとして、
ふと、前に並んで座っている二人が髪型からバッグ、洋服全てが「おそろい」で、双子ちゃんかな?
でもこの年齢で「おそろい」を着るってめずらしいな、と考えていたら、
前からプリントが送られてきて、振り返ったとき、「母娘」だったので度肝を抜かれた。
となりに座っていた娘もぎょっとしたらしく、私の方を見て何かを言いそうになったので、「しっ」と目で黙らせて、あとで二人で「びっくりしたー!」と
なんで娘と同じ服、同じ髪型、同じバッグまで持つかなー!「きもーい!」と娘はあからさまに言ったりして、
はて、どちらを「キモイ」と娘は評したのか、それを聞くのを忘れたわ、私は「母」が「キモイ」だったが。
いくら「仲良し」でも「全てが同じ」である必要はなかろうに。我が家なら、子どもたち二人に「拒否権発動!」とされるな、
それ以前に私がイヤだ、何か哀しゅうて、「使用前、使用後」になるような「全てが同じ」を着なければならないのか、
どうしても、「娘」の方が若いんだからあらゆる服は娘の方が似合う、つか、「子どもが親にあわせて老けた格好」をすることはないんだな、
「娘と同じ服を着られるくらい、私は若い!」と思いこんでいる「痛さ」を私は感じて、泣けてくる。こうなってはいけない、と。
まあ、単に娘と仲良しで服から靴からバッグまで「同じ」にしたいのかも、と思いたいものの、心が黒いんで、思えない。
私は自分がこよなく「若作り」と「見られる」のをおそれているので、他人の「若作り」らしきものに厳しいのよね。
そういえば、東京に行くと、私には信じられないような「若作り熟女」をよく見かける。
私は「痛い」人を探してるンかー!と自分につっこんでしまうよ、長くなったので、その続きはまた明日。今日は御用納め。