洋服雑記。

昨年、一度も手を通すことのなかった「よそゆき」服が劣化して、涙。

服も着ることなく1年たつとどことはなしにくたびれるのは何故なのか。

仕方がないので普段着に下したものの、ぱっとしない。

ぱっとしないのは私が年をとったせいでこれからは1年1年、どこかが衰えていく。

服を着るにも身体の「勢い」が必要でこれが年とともに失われる。

ユニクロでサイズの合う多少流行を意識した服を毎年買い替えるのが正解なのか。

年をとるともう「おしゃれ」というよりは「見苦しくない」が必須条件となって

お洋服の力に頼らざるを得ないというのに、トホホ、、、、(エンドレス)

私ぐらいの年齢で着物や「おあつらえ」に走るのはこういう理由なのか、

しかし、着物を着るような機会は限られるし、

おあつらえと言っても毎年微妙に太ったり痩せたりするアテクシは

あつらえに見合う人間ではないのだよな。さて、どうしたものですかね。

とりあえず、どこかに行くときはその時々で服を用意するように

「買いだめ」はしない方向で、生きよう。

年をとると「カジュアル」が似合わなくなるのはやはり運動しないせいでしょうなあ。

ゆえにちょっと気の利いたおばはん、おばあちゃんは「エレガンス」系に走る。

年を上手にとるって大変。時々お見掛けする素敵マダムは一日でならず。

中年以降、若く見えるというより年相応に見苦しくないおばちゃんたちは

相当、努力している現実をここに。

痛めの若作りのほうが実はよほど楽な気がする。

ところで、アテクシは世間が雨で薄暗いので梅雨が明けるまでは良いか、と

黄ばんだ白バッグをご近所用に持ち歩いていたところ

天気の良い日にうっかり白い服の上に斜めがけした姿を鏡で見て

そのあまりの黄ばみっぷりによろめいた。

人間が黄ばみ切っているのでこういうことをやらかして無駄に打ちのめされる。

「もったいない!」も許されなくなるのが加齢現象。悲しい。おわり。