雑談。

昨日、面談の順番を待っている間、知り合いと雑談していて、「○○ちゃんってすっごくわるいんやって」と聞いて驚いていると
会話しているうちに、その「悪い」が「素行」ではなく「成績」であることがわかって私的には大ウケ、
「悪い」と聞くと即「素行が悪い!」と思ってしまう自分の思考回路を反省したわ、私にとっては「成績」より「振る舞い」が大事か。
「成績」なんて「素行」と違ってどうにでもなると思うんだよな、私は。
「成績が悪いのだって大問題でしょうがー!」と知り合いに言われて、はい、そうです、すみません、と言ったところで面談。
「毎日、本当に幸せそうに楽しそうにやってます」と先生、これは下の子のすごい才能だなあ、「人間関係をうまくこなす」を、あっさりやっている。
夏の面談時は、「クラスのムードメーカーだから、もっと盛り上げて欲しい」と言われて、具体的にどういうことか聞くと
一部、女子グループがしょっちゅう揉め事を起こしているらしい、「中に立ってあげられないかな」と、
子どもはその時は黙っていたものの、あとで、
「大人の先生が間に立ってもうまくやれないのに、なんで私が出来ると思うの?そんなの勝手だ」
「私だって、いつイヤなことされるかわからないのに、なんで私に言うのかわからない」「私に期待しないで」と言った。
でも、結局、給食の時に同じ班になったときはその子たちと「うまくやった」らしい、
「好きでもなければ好きにもなれない人と仲良くするのは、無理」と学んでいたりして、
「みんな仲良く、なんて、嘘」と言い切れるこの子はすごいなあ、と思ったりする。間違っているんだろうけど。
昨日、崎浜医師の調書漏出事件の2審判決が出て、やはり「有罪」。彼が独善的であった点では確かに「有罪」だと思う。
以前、ネットで法律関係のどなたかがこの事件について
「子どもを殺人者にしたくない、で、情報を出した本のタイトルが「僕はパパを殺すことに決めた」では救われない」と書かれていて、大いに頷いた。
私はこの本を読んで、むしろ警察は草薙厚子を「盗作」で訴えるべきではないか、
供述書を丸写しして、その合間にコメントを挟む、なんの「知恵」も「工夫」もない本のつくりに腹が立った。
それなのに「言論の危機」とは、言論を危機にさらしたのは草薙氏の方だろう、
問題のすり替えを平気でやってしまう、こんな人を「ジャーナリスト」と呼ぶべきかどうか、「ジャーナリズム」って何?と思っちゃうなあ。
朝日新聞佐野真一氏が「最近、筆者が情報を十分にかみ砕いて表現するジャーナリズム本来の手法が軽視されているように思う」と、
彼女にはかみ砕くほどの「技量」も、そもそも「人間性」もないんだろう、
ただ、話題性があるときに「本を出す」、消費者に消費材を提供する、それは「商売」と呼ぶ。図書館で借りて読んだので、私もまた「消費者」だけど。
思春期特有の破壊力で思っても見なかったほどの悲劇を引き起こしたあの少年は、今、どうしているんだろう、
ローカル放送で、逃走後に侵入した民家で、賞味期限切れの食べ物を捨ててあった、と
入られた家の方が、「育ちのいい子なんだなあと思った」と言われていたのが印象に強く残っている。なんだか、とても哀しかった。
亡くなった親兄弟への償いをしながら、幸せになって欲しいと思う。彼は、もう19歳にもなるんだなあ、、