ネット雑記。

なにやらおかしな騒ぎがあるな、そのうち治まるだろう、と思っていたら、残念な話に。
小さなお子さんがいらっしゃる方にとっては、「殺す」などの言葉を用いられるのは想像を絶する苦痛を味われたことと、お察しする。
くだらない粘着はどこにでもいると言っても、「殺す」とまで書くのは稀だからなあ、しかも「匿名」で。薄気味悪さを感じるのはよくわかる。
この手の騒ぎがあったとき、必ず出てくる「お呼びでない」エントリは無視することにして、
一つ、「誰が最後まで立っていられるか」のエントリについて、思ったことを少々。
この2項対立にする単純さが、ネットを続けられなくなる原因の一つかも。
「黒」でなければ「白」だー!と、ネットでは何故か「曖昧」を嫌うんだな、そのくせ、その曖昧を嫌う人間自体が「曖昧」そのものだったりする。
「逃げるが勝ち」の価値観を持つ人があれを書いたんだろうな、ああいう書かれ方をしてさあ「論破」してくれ!とされても、それは「無理」。
そこまでネットに命をかけるか?ってことなんだよ、ネットをする理由はそれぞれにある、価値観もまた、それぞれ。
どちらの価値観が「正しい」か、なんて、それ、結論が出ることなのかな?
実は、私は「やめるが勝ち」に軍配をあげる方なんだけど、わたし自身はやめる気はない。
これまでに「私に消えて欲しいらしいな」とわかる、くだらない嫌がらせを書かれたり、されたりしてるけど、やめる気にはならない。
「やめないが勝ち」と思っているのではなく、「続ける」ことが私がネットに書くほとんど唯一の自発的「目的」だからなあ。
「続けることが正しい」と思っているのでもないんだな、「目的」は決して「正義」ではない。
「こうだから、これはこういうことに違いない」との物差しを押し当てられることで、続けられなくなることもあるような。
曖昧な世界で曖昧なままでいることに寛容な人が増えれば、消える人も少なくなるんじゃないか。
とは言っても、実生活に支障を覚えるまで、ネットを続ける理由にはならないな。
脅迫者、或いは粘着者が理解できないのは、粘着している相手の実生活にまで手を伸ばせば、確実に相手に加えた以上の害が自分に及ぶと、
かけらほども思っていないらしいこと、それこそが「狂気」のなせる業なのかもしれないが。
万が一にでも、実生活で相手に何か危害を及ぼせば、闇の中から引きずり出されて、
シャレにならないほどの社会的制裁を受けるのは当然のことだろうに。ま、それすらもわからない人間に時間を費やすのは馬鹿馬鹿しいな。
「ネットではよくあること」をどうやったら減らすことが出来るか、ネットの価値観を変えることかな。
とりあえずお休みされた方が、またいつか帰ってくる希望を持って、私は平々凡々で的外れな日記を書き続けることにしよう。