雑記。

九州の行方不明の子どもは残念な結果となった。いかにも子どもがやりそうな行動だけに、親としては、ただ、涙。
「生きていてくれさえすればいい」がたいていの子供を持つ親の心だと思う。
でも、大人になって生きていくためには、生活の手段としての何かを持たせるのが最後の親の役目かと。
で、進路選択を子どもだけの判断だけに任せてもいいのか?と言う問いに私はいつも躓く。
多分、上の子は非常に頭のいい子なんだろうと思う。父親に似たんだろう、私よりもはるかに出来がいい。
私が今でも後悔しているのは、上の子が小学生の時に、何故、中学受験をさせないか、とさんざん、周りから言われて、
でも子どもの意思を聞くと、「お友達と一緒の地元公立中学でいい」と、その結果、いじめにあった。
いじめの心の傷はそのいじめをした人間が思っている以上に深いものだ、
多くの他人からほんの一時期だけでも否定された経験は、踏み出す一歩に重い枷となる。
今、振り返れば、上の子にとっては不利な事情が積み重なっていて、
まず、上の子自身が小学校途中からの転校生だった、はじめにいじめられていた子どもまた、転校生だった、
転校生同士のかばい合いは、いじめをする側にとってはかんに障る部分があったんだろう。
くわえて、口では太刀打ちできないほどに上の子は頭が回る、1対1ならば誰に負けることもない、
そのこともあって、一斉に「いじめ」をするに値する「敵」と見なされたんだろう、
出来の良さがはじかれる原因の一部になることが親の私にはっきりわかっていたとしたら、
あんなに悲しい思いをさせないですんだと今でも思う。
あのとき、無理にでも受験をさせて、せめて、出来の良さが突出しないところに行かせておけば、と後悔している。
そうは言っても、あの頃も今も、私の子どもは、全身全霊を持って、自分の意思に反する「おしつけ」を拒否する。
この点でだけは、私に上の子はよく似ている、自分が「イヤだ」と思ったことは、何がなんでも否定する、
その頑固さ、意固地さに私は、彼女が自分の子どもである、自分は彼女の親である、と言うほろ苦さを味わう。
私の実家には勤務医が多く、「医師」は女の子の職業として「悪くない」と、見なされていて、
実際、今勤務医をしている従姉妹たちも、自分の子どもを出来れば「医師」にしたいと、あれだけ苦労していても言う。
しかし、私の娘は「イヤだ」という、「人が死ぬところを見るのはイヤだ」と、
小中学校から「頭がいいから将来はお医者さんだね」と言われてきて、それも彼女がイヤだと思う一つの理由だと思う。
親が子どもに何が出来るか、いつもそのことを考えるのだけれど、私には答えを出すのが難しい。
幸せになって欲しいと思うだけに、難しい、で、いつもあまりいい答えを出せていないように思う。
医師という職業については、その職業に就いたいとこたちを見る限り、やはり自分から「なりたい」と思わなければ、つとまらない職業だと思う。
女性医師の職業意識については、周囲を見て思ったことをまたまとめて書く予定。
心配してくれてありがとう。