読書記録。

「早稲田と慶應」を読み終える。
一般中年だったら知ってるような内容だったなあ、誰向けに書いてるんだろう、Z会より朝日の書評欄の方が質が高いかも。
ただ、慶應「三田会」の結束が強いのが都会での慶應人気の一つなんだろうとわかった。
生地を離れて都会で暮らす人間が「宗教」ではなく「政治団体」もない「心の支え」にするものは大学の同窓会ぐらいがちょうどいいのかな?
特にメリットがなくても「誇り」がもてる、いくら結束が強いといっても、同窓会員全員の面倒をみられるほどの組織とも思えないものなあ。
それでも「私はそこに所属する」の意識が何らかの役に立つのかもしれない、名門大学を卒業するとはそういうオプションもあるのか。
筆者の橘木俊昭氏は今度は「東大」に関する本を出されたようで、なにを狙っているのか不思議、同志社大の先生だよな。
さて、なんでこんな本を読んだかというと、やはり「プレ受験生」の親として、、、と殊勝なことを言ってみたいものの、
それもあるんだけど、実は進行が滞っている「1968」のため、
今までの小熊英二さんの本と違って読みにくさを感じて、それが何故かよく考えてみたところ、私は「東京」の大学事情をさっぱり知らない、
本を読むのにあまりに基礎知識が欠けているのに気がついた。せめて「早稲田、慶應」の成り立ちを知ればもう少しマシかと、
その役には立ったかな、この新書の中で提示されている資料を拾い読んで、大体のことがわかったような。(気がするだけか)
なるほど「横国」とはこういう成り立ちの大学か、みたいな。「1968」が取り上げている大学が関西の大学ならもう少しぴんと来るのかも。
「1968」が読みにくいのはそのせいだけでもないんだけど、その理由はまた読み終えてからの感想で。
「早稲田と慶應」の話に戻して、親として子どもをどちらの大学に行かせたいか、うーん、慶應オープンキャンパスにも参加してみて、
少なくとも上の子は国立大学向きだな、と、どこであれ、設備豊かな私立大学より、貧乏な国立大学の方がむいているという気がした。
上の子は私立の「個性」みたいなものに染まるには、少々頑固なんだなあ、私ではなく父親に似てるんで。(と、責任転嫁)
それでもあえて言えば、やはり「慶應」がいいかな、早稲田の放任主義よりも、親としては安心か。ま、「入れたら」の話だけど。
ご自分の学歴に自信のあるダーリンは「慶應?滑り止めじゃないか」などと言う、わー、むかつく。
私は人生を手堅く生きたいんで、親戚、その他が勧めるより、もっと間違いなく受かりそうな私立を子どものために見つけておこうと思うのでした。
なんか本の紹介になってないな、
両方いい大学ですが、問題点もありますよ、ってな内容でした。おしまい。(おざなり)試験に受かればどこだっていい大学よ、、、(遠い目)
週末、大勢の集まるところに顔を出したので、新型インフルエンザが心配、いつかはかかるのを覚悟しているものの、ドキドキ。