日常。

昨日はばたばた疲れた、上の子がお友達と遠方である講習に出かけるので、出発駅まで連れて行って
「バイバーイ」とする予定が、なんとそこにお友達のお母様が!
自分のあまりにぞんざいな母親ぶりを反省して大あわてで車を止めるところを探して行くと、もうお母様は帰られたとのことで、ああ、ごめんなさい、、
高校生ばかりでも、何とかなるだろう、「3人寄れば文殊の知恵」と、送り出す「雑」母であることを反省。
行き先はグーグルだのなんだので調べて、プリントアウトした詳細な地図を持たせてあるんだけど。
子どもが「スーパー」な進学校に通い始めてから、「親」として外すこと、多々、さぞかし「○中出身、バカ母」と見られていることでしょう、、、(涙)
今も下の子が通う中学では、この手のことをするとすぐ「過保護母」のレッテルがはられるんだよね、そのレッテルは「死」に近い。
ことある度に、「ところ変われば、品変わる」とつぶやいて、子どもからバカにされる私、とほほ。
帰り道、車で通りがかったとある神社の境内に、なんと部活中の下の子たちの姿が!あんたたち、ひと山、越えて来たのかー!
中学生の体力、恐るべし、また山の裏側にある学校まで走って帰るのね、すごいわ、あんたら。
で、昼過ぎに、下のお嬢さんは「楽しかったよ」と帰ってきて、ぐったりするでもなく、ぱくぱく食べる。
夏休みの自由研究の材料を百円ショップに買いに行くから連れてって、と「走って行ってきたら?」と思ったけど、連れて行った。
買い物中に、上の子から下の子の携帯に「ついたよ」の連絡が入る、
「何かあれば、ママの携帯にかけなさい、大丈夫だから」なんて言ったのに、私ったら、携帯を家に置き忘れてるし。
「ごめん、もってきてなかった」「わかってるし」と、
「携帯は、もってこそ「携帯」」とあちらこちらから口を酸っぱくして言われているのよね、、、反省しなければ。
かさばるわけでもないのに、上の子がいないと、急に家が広くなった気がする。3人暮らしはかなり寂しい。
昨日、いくつかのエントリを見て、「母親」であるだけで憎しみの対象になるのだな、とため息、
何故、そんなに「母親」に期待をするかな?何故「母親」にだけ憎しみを向けるんだろう、
それは「母親」に「だけ」、「愛情」を求めているんだよ、それで幸せなんですかね?
私は自分の「母親」にほとんど「期待」をしたことがなかったんで、よく理解できない、
弱い「個人」が「母親」であるだけで多大の「期待」を背負うのはどこかで「間違ってる」と、子供心にも思ったけど、それは特異なのかな。
人は母親「だけ」で出来ているわけではないでしょうにね。
様々な不幸を「お母さん、どうにかして」と助けを求めているのかな、それは切ないなあ、お母さん以外の誰もいなかったのか。
腹が立つけど、哀しくもなる。「父親」はどこにいるんだろうな。
これから育児参加が進めば「父親」も、もっと愛情、あるいは憎しみの対象になるのかな?
ところで、以前書いたものについたブクマを誤解して受け取ったようで、こちらこそ、すみませんでした。
子どものことを書くと、ことごとく曲解して嫌がらせを書く人がいるので、うんざりしていました、ごめんなさい。
明日は、上の子承認の元、天気がよければ下の子を海に連れて行く予定。
今朝、上の子にモーニングコールがてら、よく眠れた?の電話をすると、
「大丈夫にきまってるじゃん、そんなことで電話かけないで」と冷たくあしらわれた。元気そうで何より。