とある記事。

山谷えり子さんが「だから純潔教育を!」と絶叫しそうな、話をネットで読む。
http://www.asahi.com/health/sanada/TKY200907270301.html
先日、中学生の従妹がおしゃれをしているのをみて「自分の女の価値に気づきやがって」なんて言うセクハラ大学生
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090720/1248092002
もこの記事を持ちだして、「ほら、俺は心配してやってるんだぜ」と言い出しそうでこわい。
彼はこの手の記事でこれぞ「いまどきの子供」と、おしゃれな従妹に妄想をふくらませたのかもしれない、まあ、ネットにそういう人は多いけれど。
確かに、この記事の母子はおかしい、と言うか、私にとって非常に奇妙に思われるのは、
子供に話をさせないほど、母親が子供を束縛しているにもかかわらず、母親は、子供の生理周期が把握できていない点だ。
もし、本当に子供を気にかけていれば、子供に生理が順調にきていないのはわかるんじゃないか。
子供のセックス経験が全く見えない親が多く存在すると私は思えない、共に暮らしていればうすうすわかることは多くある。
私は学生時代、寮生活を経験して、「彼」と関係を持った女の子の「気配」は、なんとなく「わかる」のを知っている。
自分の子供であればもっとそうじゃないだろうか、それは子どもを「監視しているから」ではなく、母親は、本来「大人」で「女」だからだ。
びろうなはなしで申し訳ないけれど、下着の汚れなど、「子供」に隠せるものではない、洗濯の時、まともな母親にわからないとは思えない。
一般家庭(と思う)の我が家では、子どもは少しでも生理が遅れると、「まだ来ない、まだ来ない!」と騒ぎ出す。
「行事にかかったらイヤだ」と、周期に敏感になるのが一般的な思春期の子どもたちで、それを親に相談せずにはいられない。
一応、「心当たりはあるの?」と確認した上で、(子どもは「ママ、それはセクハラー!」と猛烈に反発する、子どもの「セクハラ」定義は厳しい)
「ストレスがあると、遅れたりするんだよ」と話して、子どもの「体」と「心」に寄り添うのが、母親である以前に、「大人」の「女」のつとめだと私は思う。
その「つとめ」を怠っているらしい母親は、目の前におこっている現実が見えない、大切なはずの「子供」の姿も見ていない、
この「子供」が、たった「14歳」に妊娠させてしまうような相手とセックスしてしまうのは、母親に十分、見てもらえない寂しさのせいだろう。
母親にかまってもらっているように「見える」のに、大切なことはなにも教えてもらえず、
自分の体の変調も理解されていないのは、ほぼ「育児放棄」状態だと私は思う。この母子の家庭生活は破綻しているのではないか。
愛情を求めて、むなしさを埋めるためのセックスは哀れだ。「子供」でも女の子であればセックスが簡単に手にはいるのもこの悲劇の一因だ。
母親も、人前では過剰に子供をかまっているにもかかわらず、どうやら「大人」としての判断が全く出来ていないので、
大人になれきれない哀れな人間に見える。
こんな「大人」としても、「女」としても完全ではない母子をあざけるのではなく、寄り添うことが出来ないものか、とどこかで思う。
とはいうものの、このような母子はどこにでも存在して、ごく一般的な多くの子どもたちとその保護者たちを困らせる。
家庭生活にトラブルを抱える子供は、学校でも問題を起こす。
問題のない家庭で屈託なく育つ同級生たちにやたらと絡んだりして、結果、普通の子どもたちから嫌われて、また傷つく、悪循環。
かわいそうなのはわかっていても、派手な問題行動を繰り返す子供と同じ中学に通っていると言うだけで、
世間は普通の子どもをそんな子と「同じ」だと見たがる、
嫌がらせを受けた上に、世間から「誤解」までされる、普通の「いまどき」子どもが「あんな子と私を一緒にしないで!」と思う感覚を
私は「我慢しなさい」とは言えない、わたし自身も「こんな母親と同じにしないでよ!」とネットで心の底から叫びたくなることがある。
子どもと同じことをしてどうする?とわかっているけれど。
記事の書き方がこの件の哀れさを認識できていない気がした。記事は「わかりやすく」、「面白おかしく」、でも、それでなにができているんだろう。
この記事を元にした酷いエントリについた無数のブコメに、14歳のおしゃまな従妹を「女の価値」で値踏みする大学生と同じ感覚があった。
情けない話だ。